「足りない」を、足さない。 | セルロイド保管庫

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柔らかな盾の中で

 

今年に入ってから、

自分の中でアイデンティティが反転するような体感がありまして。

 

私は可愛げがない。愛されない。

私は突き抜けられない。フツーだ。

私は心から底意地が悪い。他人に優しくなんてできない。

 

という、自分で認めたくなかった部分を完全に受け入れた途端、

一気に力が抜けた。本っ当にラクになった。

 

他人に認められたいと思ってたけど、

「お前らなんかに評価されてたまるか」 が本心でした。

他人にわかってもらいたいと思ってたけど、

「てめえらごときに私が理解できるわけねーだろ」 と見下してました。

何かになりたいと思ってたけど、

「何者にもなりたくない」 という一心でここまで生きてきました。

 

そこで、“やめる”と決めたことが、とりあえずふたつ。

■できないフリをやめる。できないぶりっ子wしない。

■人の機嫌を絶対とらない。

 

これはどちらも相手に与えているようで、実は相手から奪っている行為なんだと気づいた。

そこで意識してやめた途端、自分が、いかにこれまで自分でない者を生きてきたのか、

ものすごく実感した。

するとまあ、周りの反応についてだんだんどうでもよくなるんですね。

だって、相手に合わせる必要なんてなくて、ただ自分でいればいいんだもの。

 

頑張って何かを継ぎ足すんじゃない。

これまで演じてたものを、足してたものを、やめればよかった。

 

長年続けてきた偽造の人格はまだまだ反射的に出てくるけども、

“良い人”をやってしまうけど、

気づいてる分、そのうち薄れていくのかも。

 

そして、別に“良い人”やらなくても、

私は誰かに手を貸したければ助けるだろうし、好意があれば示すだろうし、

それは、私が勝手にやることなんだと思う。