自分にとっての言葉がどのようなものであるかを考えてみた時、

「他者とのコミュニケーション」という役割を、あまり重視していないことに気づいた。

相手に伝えたい、わかってほしい、共有したいと思って語る態度が、

私の中にあまりない。

 

私にとっての言葉は、事実の説明と伝達、創造。

そして、言葉それ自身が誘う言語の連なりの昇華。

 

浮かぶ思考は絶え間なく、いつも自分自身に向かって語っている感覚があって、

私が言葉で言葉に語りかけているようでもあって、

それはつまり、言葉が言葉自身に語っていることなんだと思う。

 

自分が自分の言葉を話せば話すほど、

戸惑われたり気味悪がられたり何を考えているかよくわからないと言われたりして、

不思議に思ったりしてたけど、

まあそうですよね、私←→他者との関係のもとに伝えようとしてねーんだからw

 

そうかずっと独り言を口に出して人前で喋っていたのか。。。。。。

 

 

ウンベルト・サバ 『愛ゆえの棘』より

 

 6

 

もっと悲しみのある言葉を、きみのため

 みつけなければ、むすめよ。

きみにいってやりたい、つめたくて、エゴイストで、

 気をひいてみるだけさ、と。

 

自分のことしか考えない。かぎりない

 こまかいことで、官能を満たしているきみ。

恋合戦をいどむのが好きなくせして、

 責任はとらない。

 

なにもいうまい。そして、自分にはこういおう。

 ほんとうにこれがおまえの求めるものか、と。

 

おまえは世でことをなした者、

 詩人なのだ、と。

 

ふがいない言葉よ。わたしの心は血をながす、

 そこいらのふつうの心とおなじに。

愛ゆえのするどい棘は、いっときも

 わたしから離れなくて。

 

 

 ・・・「ウンベルト・サバ詩集」 須賀敦子 訳 (みすず書房)