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バニラ日誌

平成24年4月から平成25年7月まで、近畿大学通信教育部で図書館司書資格を勉強し、修得するまでをつづったブログです。さらに、その後小学校図書館司書の臨時職員としてのこともつづります。さらに、その後認知症介助士の勉強と認知症の母について書いています。

噂の芥川賞受賞作品を読みました。
結論からいうと、私は好きですね~!
ラストのエピソードが要らないのでは…?という選考委員の方もいらっしゃいましたが、私はあったほうがより良いお話になったと思いました。

お互い売れてない若手漫才師が、「笑い」とは何かを必死に考え実践してきた10年間の出来事を、主人公の目線で語った物語です。

この中で、印象に残ったエピソードは、「漫才師は、生まれながらに漫才師」というものと、「芸というものは、本来神様に捧げるものだった」というものです。
ホンモノの漫才師は、笑いを取ろうと考えなくても、その人が自然に行動しているだけで、面白い。というのが、主人公の師匠の考えです。究極には、生まれながらの漫才師は、八百屋で野菜を売っていたとしても漫才師なのです。この考えは私にとって新鮮でした。

もし、自分がお笑い芸人で、舞台に上がったのにお客さんが誰も居なかったら…もしくは、周りの大音量で自分たちの声がお客さんに届いて居なかったら…?
芸人は誰に向かって芸を披露するのでしょうか?
歌舞伎もお神楽も昔は純粋に神様に捧げるものだったのだと言います。だから、芸は無心に真剣にしなければならないのです。

『火花』の主人公と師匠の関係を見ていると、昔々に観た映画『アマデウス』のモーツアルトとサリエリを思い出しました。
天才肌のモーツアルトですが、世間的な人間としては、はっきり言ってダメ人間でした。普通の大人ならできるような配慮や計算というものができないのです。ただただ純粋にひたすら自分の頭に浮かんだ音楽を作り上げるのです。
サリエリは、彼の天才的な才能を理解しつつ、大人としては最低のモーツアルトの行動を理解することはできませんでした。そして、自分には絶対に作れない、涙が出るほど美しいモーツアルトの曲を、「理解することができる才能」だけを与えた神を呪うのでした・・・。

「アマデウス」のモーツアルトとサリエリの関係は羨望と恨みが渦巻くドロドロしたものでしたが、『火花』の主人公と師匠の関係はもっと温かく、感動すら覚えました。
20歳までの人が読むより、30代40代の人生の酸いも甘いも経験してきた人のほうが読んでいてより共感できるものになっていると思いました。
又吉さんの次作がなにになるのか、期待しています!
今日で、1学期の貸出が終わりました!
明日で終業式というのに、6年生は5時間目まで本を借りに来ていました(^^;;
(私としては、早く集計したかったのですが…)

夏休み前の貸出は「ひとり2冊、必ず長めの読み物を借りること」と先生によっては決めていらっしゃるので、子どもたちは「何読もう~~!」と困っている子も多いです。

半強制で借りた本もできれば読んでみて欲しいと思っているのですが…。
今日も、「感想文に書けそうな本を、お母さんに聞いてきなさいって言われました。」と言ってきた男の子には、「感想文は自分が感動した本で書けば良いんだよ。」と伝えて、野球をしている彼に、あさのあつこ著「バッテリー」をおすすめしました。
また、ハリーポッターは読破したという図書委員長の女の子には、思い切ってエンデ著「はてしない物語」をおすすめしました。
私はこの装丁も凝った本が大好きで、毎年読書好きな女の子におすすめしています。
去年の子は面白かったと言ってくれましたが…今年はどうでしょう??

北国の短い夏休みですが、みんなお気に入りの本をみつけてくれればと思います!

 お笑い芸人コンビ「ピース」の又吉さんが、芥川賞を受賞されましたね。おめでとうございます!

 まあ、いろいろな出版業界の事情もあってのW受賞なのかもしれませんが、芥川賞候補になるだけの実力は十分にお持ちの方なのではないかと思います。


 といっても、私はまだ「火花」を読んでいないので、コメントする立場ではないかもしれないのですが、受賞コメントを読んで、又吉さんの本への深い愛情を感じたのでブログで書くことにしました。


 又吉さんは、太宰治に中学校の教科書で出会って、純文学にはまったとおっしゃっていますが、私も夏目漱石や芥川龍之介、遠藤周作にであったのは国語の教科書や模試でした。

 なので、いまも国語でこういった(古典?純文学?)作品を載せることはとても意味があると思います。もし、教科書で出会えなかったら、これらの作家さんは完全にスルーしてしまったかもしれません。


 さて、太宰治といえば小学校6年生くらいでならう「走れメロス」でしょうか。私も習った覚えがあります。でも、当時真面目な12歳だった私は、自分の身代わりとなってくれている親友を助けに行かなくてはいけないとわかっているのに、すぐ弱音を吐いたり、昼寝をしてしまったりするメロスが許せなくて、このお話は大っ嫌いでした。


 そんなわけで、その後太宰作品「人間失格」とか「斜陽」とかは手に取ることがなかったのですが、先日朝日の小学生新聞で太宰の「駆け込み訴え」の一部が掲載されていて、それを読んだとき改めて太宰の力と狂気を感じた気がしました。


 「駆け込み訴え」は太宰作品であまりメジャーではないかもしれませんが、ぜひ一読してみてください。

 内容は、イエスキリストが使徒のユダの裏切りによってゲッセマネの園から連行されたあの日、ユダが何を語ったのかが、ユダ側からの言葉で語られます。

 短編ですが、文章はすべてユダの独白です。一人芝居とかでしたらいいでしょうね~。

 これは、太宰の妻が口述筆記したといわれています。つまり、ユダの独白をまさに太宰が自分の言葉で語って作られたのでしょう。


 ユダはキリスト教では完全に裏切り者の悪ですが、太宰にはユダこそが弱く強いものにあこがれつつ嫉妬してしまうという、人間そのものに感じたのではないでしょうか。

 だんだん興奮状態となるユダの独白に、太宰の狂気を見た感じがしました。ある意味やはりすごい作家だと再確認しました。

 「駆け込み訴え」青空文庫にもあります。おすすめですよ!


さらに、又吉さんは若い人に向けてという質問に、

「おもしろい小説はたくさんあるんで。ぼくの本を読んで面白くなくて、小説読むのをやめようと、ぼくでジャッジしないでほしい。100冊読んだら、絶対本を好きになると思うんで。」

と答えています。

本当に、本というものを愛している人のコメントだと思います。世界中にたくさんある本、人。その中で自分の本当の友と言えるものはほんの少ししかないかもしれない。けど、それを見つけられたら、絶対に生涯の宝になる。だから、あきらめないで探してほしい。

司書の仕事も力及ばずですが、日々そんなことを思っています。