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バニラ日誌

平成24年4月から平成25年7月まで、近畿大学通信教育部で図書館司書資格を勉強し、修得するまでをつづったブログです。さらに、その後小学校図書館司書の臨時職員としてのこともつづります。さらに、その後認知症介助士の勉強と認知症の母について書いています。

『マヤの一生』 椋 鳩十/作 大日本図書 1970


 この作品は、児童戦争文学というジャンルになりますが、椋鳩十らしくテーマは「人間と動物の心の通い合い」だと思います。

 私がいま学んでいる、児童文学研究セミナーで高学年におすすめの本として紹介されていました。戦争文学とは、反戦文学でもあるのですが、「戦争反対」とは一言も書かずに、戦争によっていかに人々の心がすさんでいくのか、また、戦争によって人間がどんどん建前しか言えなくなりギスギスした精神状態になるのとは逆に、動物(特に犬)はいつどんな時でも家族に対して真実に愛情しか持ちえないということが、椋鳩十が実際に体験したノンフィクションとして描かれています。

 犬を一度でも飼ったことがある人なら、きっとマヤと子どもたちの深い愛情に心を揺さぶられると思います。


『おじいちゃんが冬へ旅立つとき』 C.K.ストリート あかね書房,1981.3.


 この作品も、セミナーで高学年におすすめの本として紹介されました。この本はいろんな読み方ができると思います。おじいちゃんが孫にインディアンとしての知識を伝える「伝承物語」でもあり、白人がインディアンを迫害し差別してきた「歴史物語」でもあり、おじいちゃんの死と対峙する少年の「成長物語」でもあります。

 『リトル・トリー』など、アメリカインディアンの思想に惹かれるところがあります。この作品のおじいちゃんも、どこで生まれ育ったのかはわかりませんが、今は白人に与えられた居留地に娘と孫の3人で住んでいます。もはやインディアンとしての生活はできず、白人の経済社会で生きていくしかないのですが、彼は孫に彼の部族にはるか昔から伝わる記号や絵を教えます。そして、インディアンが崇拝するもの(鷲)と、白人が崇拝するもの(お金)の違いを老体に鞭打って伝えようとしています。

 思春期の不安な時期に、インディアンのおじいちゃんのように「自分を支える強い柱」がある人間は、どんなことがあっても強いのだということを学ぶことができる作品なのではないかと思いました。


どちらの本もたいへん古い本ですが、短いお話なので、ぜひ見つけられたら読んでみてください!

お久しぶりの更新となります…。
仕事も順調というか、ちょっと最近惰性で働いてる気がしますが(汗)

先日ある研究大会で武田美穂さんの講演を聞かせていただきました!
武田さんといえば、『となりのせきのますだくん』『ありんこぐんだん』『ざわざわ森のがんこちゃん』などで有名な作家さんです。

初めてご本人を拝見したのですが、絵のイメージとは全く違って、小柄で線の細い大変美人な方でした。
武田さんは、映画関係の仕事をされていたお父さまの影響で、絵コンテなどに親しみ、いまの作風になったようですが、初めから絵本作家を目指したわけではなかったそうです。
美大生だった頃に、自立するためにはじめた図書館のバイト中に、図書館のヌシのような小学生の女の子にたくさんの本の読み聞かせを強要されるうちに、絵本という表現に興味を持ったそうです。

講演では、武田さんの絵本を実際に読み聞かせしていただきました。
わたしは、絵本作家さんご本人の読み聞かせを聞くのは、宮西たつやさんと武田さんのお二人しかないのですが、書いた本人に読んでいただくというのは、自分が読む時のお手本になるので、とても参考になります。
武田さんの本も、吹き出し部分を文の流れのどのタイミングで読むのか…?といった疑問が、解決できました。
あとは、ページをめくるリズムとか、タイミングも参考になりました!

武田さんは、小学校でも呼ばれて読み聞かせをしているそうですが、一人でも多くの子どもに、絵本の楽しさを知って欲しいとおっしゃっていました。
武田さんの絵本の読み聞かせは、ちょっと苦手意識があったのですが、今度挑戦してみたいと思いました!

『武士道ジェネレーション』誉田哲也 著

※はじめにお断りしておきますが、今回の内容は第二次世界大戦に関する内容が含まれております。

私は、単に本の感想を書いているだけであって、第二次世界大戦や安全保障などの知識もありませんし、この話題に関して議論をする能力もありませんので、もしコメントをされる方がいらしたら、うまくお返事を書けないことがあることをご了承ください。

 なんだろう・・・。『武士道シックスティーン』から4作目のこの本は、前の3作とは全く異なりすっきりしない読後になりました。

剣道を通じて、無二の親友(&ライバル)となった香織と早苗でしたが、学生時代も終わり、お互いの人生も剣道との関わり合いもだいぶ異なってきていました。その点は、20代女子を経験した私にもうなずける描写がたくさんありました。
  なので、大人になった彼女たちが何を考え、何をするのかに期待していたのですが、早苗に関してはちょっと意外でした。
 むしろ、「あれ?早苗ってこんな子だったっけ…?」という違和感を感じました。
 何が違和感といえば、第二次大戦後の歴史認識についてなのです。
つい先日、戦後70年という節目を迎えましたが、早苗の言葉に「自虐史観」というものが出てきたのです。私は勉強不足もあり、この言葉を初めて知りましたが、要するに「日本が第二次大戦で負けたことによって、その後の学校教育で、それまでの日本人及び文化を全否定(悪いものだった)と思い込んでいる歴史認識…ということでしょうか・・・。
 この自虐史観に対して、早苗は日本文化を大切にする気持ちから、嫌悪しているようです。さらに、大学でちょっとしたきっかけから韓国人留学生と「南京大虐殺」や「慰安婦問題」のことに関して口論となり、反論できなかった早苗は外国人に苦手意識を持つようになってしまいました。

 私は、今までの武士道シリーズを読んできて、この流れがとても意外でしたが、きっと作者なりの深い意味があるのだろうと最初は期待していました。事実、早苗のように今の学校教育で教わる大戦の内容が自虐的だという日本人が老若男女いるということも知っています。だからこそ、本の中で誉田さんなりのこのことに関する論議が展開されるのだろうと期待していました。

 しかし、大学を卒業しても早苗の外国人嫌いは変わらず、ご主人の友人であるアメリカ人青年に、アメリカが日本を攻撃したこと、空襲や原子爆弾で多くの民間人を殺戮したことを詰問していました。アメリカ人青年の反論もありましたが、新聞やテレビ、ネットで見かけるような議論ばかりで誉田さんなりの新しい解釈というものがなかったように感じました。
 もちろん、最後のシーンで、アメリカ人青年と早苗の和解というのもありましたが、このアメリカ人のような意見をどれほどの人が持っているのか?それが本当の解決となっていくのか、私には実感できませんでした。

 「自虐史観」って、何なんでしょう??戦後の教育で教わってきたことが、日本人や日本文化を完全否定していると感じていますか?
 この作品はどうしても「武士道精神」を描いているので、日本文化=武士道という図式になっているので、戦時中の日本軍(武士の心を受け継ぐ?)が悪というのは納得できない・・・ということなのでしょうか。

 主人公たちが武士道を語る時のセリフを引用します。
 『「武士道と云うは、死ぬ事と見付けたり」も、あなたは、なんのためなら命を懸けられますか、命を懸けても守りたいものはありますか、っていう問いかけのような気もするし、それがときに祖国のためであったり、会社のためであったり、家族のためであったりしても、私はいいと思うんだよね。』

 『人が何かを守ろうとするとき、必要なるのは、やっぱり力なんだ。それも、相手とどっこいどっこいじゃ駄目なんだ。相手より圧倒的に強くて、でも暴走しない、冷静な力がないと、守りたいものも守れないんだ。』

 一般論として、こういうことが言われていることはわかっていますが、私は上橋菜穂子さんの『守り人シリーズ』のバルサが言っている、
 『正当な勝負だろうが、なんだろうが、殺された者には名誉なんぞ関係ない。それは人を殺した者の言いわけに過ぎない。・・・・・・あんたの叔父さんのジグロは、それをよく知っていたよ。』
というセリフのほうが、私には信じることができます。
 人が何かを守ろうとするときに必要な、相手よりも圧倒的に強くて暴走しない力というものが、単なる武力ではなく、議論により見つけられる解決能力であるということを、誉田さんが述べてくれていると信じたいです。