いわゆる無資格の自称カウンセラーは、解決の向きが逆になっていることが少なくありません。


自分の問題を他人の問題として扱ったり、リスク評価が曖昧だったりするからです。

それが集客のためなのか、独自の手法なのか、受け手には判断できません。


たとえば、自称カウンセラー本人が、他人の感情や問題を背負うことを正しさとして内面化してきた場合です。


それ自体は、かつては必要だった力なのでしょう。

しかし、その構造を正しさとして他人にも適用しようとしたとき、そこに救済の顔をしたメサイア性が混ざります。

無意識のうちに、自分の標準装備を配布しようとしてしまうのです。


それを正しさとして外に向けている限り、感情処理の主体は自分に戻りません。

他人を通して自分の感情を処理する構造は、形を変えて続いてしまいます。


人生のOSは自分です。


他人の価値観はアプリであり、環境は外部デバイスにすぎません。


感情は通知のようなものです。

重要な通知もあれば、誤作動もあります。


通知は、必要に応じて対処し、アップデートすればいいだけです。


本来カウンセリングは、依存を拡張することではなく、自分の感情や選択の主体を取り戻すためのもののはずです。