クラシック音楽は、時間による自然選別を経て生き残った芸術であり、人類的価値がすでに証明されています。
五十年、百年と受け継がれてきた作品は、一時の流行とは異なる強さを持ち、そう簡単に消えることはありません。
欧州ではクラシックを作品として楽しむ文化が根づいており、観客が自然に距離感を保ちながら音楽に向き合える環境があります。
一方、日本では有名人をアイドルのように扱ってしまう傾向があり、作品よりも人物に注目が集まりやすいことが、クラシックの文化としての成熟を妨げているのかもしれません。
その結果、マナー違反や境界の曖昧さも生まれやすく、配慮を求められる場面も増えてしまいます。
某国のクラシックコンサートで、カーテンコールの際に高齢の女性が後方席から一生懸命に歩いて花束を渡しに行く姿を見たことがあります。
あの場の温かさと、観客と演奏家の自然な距離感は、とても印象に残りました。
日本の距離を保つ雰囲気と比べると、その違いがより際立って感じられます。
もちろん、演奏家がスターとして熱狂的に支持される現象は存在しており、アイドル文化に似た部分もあります。
ただし、それは演奏の感動が引き起こす熱狂であり、個人生活まで追いかけるような追っかけ文化とは少し性質が異なります。
実際、演奏家の中にはステージそのもので評価されたいと考える人も少なくありません。
さらに、海外のインタビューは自己開示が上手く、演奏家が作品との向き合い方を自然に語ることができ、その積み重ねが聴衆の理解や共感を育てています。
芸術家が語る言葉が文化を形成しているのです。
日本には、質の高いコンサートホールが数多くあります。
国内のホールは音響面で優れた設計が施されており、その技術は海外の現代的なホールの建設にも関わっています。
これほど恵まれた環境が整っているにもかかわらず、クラシック音楽が根づきにくいのは勿体ないことです。
クラシック音楽がより自然に浸透するためには、作品や演奏そのものに目を向ける習慣が、ゆっくりと育っていくことが必要なのかもしれません。
文化の違いは、クラシック音楽の受け取られ方や距離感にそのまま影響しているのだと感じます。