◎百人隊長


・しもべを大切にし、気にかけていた(しもべ?家族ではなくて?)

・イエス様と面識があったわけではなく、うわさでしか聞いたことがなかった(スゴイ!)

・異邦人(ローマ人?)であり、イスラエルの神の信仰とは無縁であった(どうやって信じたんだろ?)

・ユダヤ人の長老たちからかなりの尊敬と支持を得ていた(征服者ローマ人は嫌われていたはず)

・権威がどういうものかを正しく理解していた(もう、脱帽!)



◎ナインの町にて


注) ここでは誰もイエス様に助けて~、とか言ってないし、誰かの信仰が働いて青年がよみがえったとは 

   書かれていない - イエス様は天のお父さんの心を察知して主体的に奇蹟を行なった


しかし、イエス様、どうして棺の中の人物が青年だって分かったのだろう? まっ、そんなことはいいが・・・



◎バプテスマのヨハネ


マタイの項でも書いたかな?彼にとってイエス様はメシヤであり、すべての預言がイエス様によって成就

されていく中で、ふと自分しかいない牢獄の中で自分の使命と神の約束を重ね合わせてみる・・・


「本当にこれでよかったんだろうか、私は使命のために生きて、ヘロデ王にも悔い改めを迫った。おかげで

今は牢獄の中。私の役割は終わったのだろうか。捕われ人には赦免をとメシヤについて預言されているが

皮肉なものだ。私の身に関しては成就されないとは。」


な~んて思ったかどうかはわからないが、使命のために生きる者にとって、神の約束は絶対である。

もしイエス様がメシヤでないなら、バプテスマのヨハネは先遣者などではなく、彼の死は無駄であった

かもしれない。


そこでイエス様の優しい一言


「わたしにつまずかない者は幸いです。」


(適用)


・常に天のお父さんとチャンネルを合わせて、積極的に信仰を働かせて人を助ける

昨日の箇所もそうだったが、ルカ6章には人間関係を築くためのガイドラインが書かれている。

人間関係学科あるいはコミュニケーション学科という専攻があるなら、聖書はよい教科書になるに

違いない。


 他人に接するためのガイドライン(ルカ6:37-42)


 ・赦しの態度で接する

 ・寛大に与える心をもつ

 ・他人をリードしようとする前に自分の弱点を知る

 ・良い師、模範に習う

 ・自分自身の誤りをチェックし、改める


自分にとってはどれも弱いものばかりである。



◎イエス様の言葉を聞くだけの人、聞いてそれを行なう人


マタイでも学んだけど、あくまで対象はイエス様の言葉を聞いた人である。つまり聞いているだけでは

不十分であるということだ。


聞く → 悟る(信仰が働く) → 行動してみる → 何かが起きる(神さまの責任範囲だ)


(適用)


 ・赦しの態度、寛容な心で人に接する。他人の弱点、欠点が気になったら、裁いたり責めるのでなく、

  カバーする。フォローする。

勢いから始めたデボーションブログ、「隣の朝ご飯?」ですが、管理者の怠慢により、長い間アップ

できませんでした。これからもこんなことがあるかもしれませんが、ときどきのぞいてくださるととても

うれしいです。(そんなこと言えた義理ではございませんが)


マタイから始めて、おかげさまで本日、ルカ6章後半と毎日続いております。ただ、今までは何とか

書き込んでいないマタイの続きをと思っていましたが、もはや無理だとやっと気づきましたので、

とりあえず過去の記録はおいておきまして、今読み始めているルカをアップしながら、余裕がある

ときにマタイを紙のノートを見ながら更新したいと思います。


近頃のアクセス数を見ると、最低1人~4人の方が訪問してくださっているようです。まったく更新

されていなくて、ホント申し訳ありません。もちろんデボーションは他人のためではなく、自分の

ためなのですが、最近どうよ?と声を掛けられること、今日は更新されてるの?と関心を少しでも

持っていただけることは、大きな励まし、喜びです。心からありがとう!!


また、もしブログを読まれて感想、意見、誤り等ございましたら、コメントを頂戴したいと思います。

あまり痛々しい批判や関係のない宣伝は勘弁願いますが、基本的に一方通行だったブログが、

双方通行、コミュニティになったらいいなと大それた企みもあったりして・・・(まずは記者が・・・ 汗 )


みなさん、これからもよろしくお願いします。

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。


ハハ~ン、 ではイエス様がこの地上に戻って来られるのはまだまだ先なんだからそれまでは・・・


 ( ̄ー☆)キラリーン   な~んて、良からぬことを考えてると大変な目に遭う



◎賢い娘と愚かな娘


 花婿を迎えに出た10人の娘 - 5人は賢く、5人は愚かだった

 皆ともしびを持っていたが、半分の者しか油を用意していなかった


 花婿の登場が遅れ、一同ウトウトし始めた   ( ̄ー ̄(ー_ー(_ _Zzzzz ・・・・


そうこうしていると、 「そら、花婿だ。迎えに出よ。」って声が  o_ _)oZzz (o- -)oムクッ (o;゚▽゚)o


さて、皆ともしびを持って行こうとしたが、油を用意していなかった娘たちは消えそうになって、慌てて油を

買いに出かけた。するとその間に花婿が現れ、婚礼の祝宴が始まって、扉が閉められてしまったという

話である。


つまりは、花婿(イエス様)を待つにしても、どのように待っているかが大切ってことか。いつ来ても大丈夫

なように備える必要がある。 → 24:45-51


◎タラントのたとえ (タラント → タレント=才能)


神様はその人の管理する力に応じて賜物を与えてくださるようだ。どれだけ多くの才能が与えられているか

よりも、与えられた才能をどれだけ忠実に(神様のために)使ったが問われる。5タラント、2タラント与え

られたしもべは、そこから、それぞれにふさわしい成果をあげた。しかし、1タラントの者は、怠け者で、主人

のことをひどく誤解していた。しかも失敗を恐れて、知恵、信仰を働かせず、何もしなかった。


1タラント = 6000デナリ  1デナリは日当分なので、日給6000円のアルバイトとすると、


1タラント = 6000円 X 6000 = 3600万円!! よく地中に隠して盗まれなかったものだ!

ちなみに、5タラント=1億8000万円、2タラントでも7200万円。


しかもその主人、 「あなたはわずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう」って

言ってる。何を任されるんだろうか。



◎羊と山羊


社会的評価の低い人に対してとった態度 → イエス様にとった態度とみなされる


人々が空腹のとき、渇いているとき、旅をしているとき、着る物がないとき、病気のとき、牢にいるとき、

どのような態度で接するかが重要 永遠の行き先を決定するかも?


(適用)


 ・困っている人、助けを必要としている人を積極的に行動によって愛する


 ・自分に与えられている才能を隠しておかず、積極的に生かす。謙遜と引っ込み思案は違う

聖書が語っている世の終わりの出来事


 ・にせキリストが大勢現れる

 ・戦争のうわさや実際の戦争のニュースを聞く

 ・民族同士、国同士の対立

 ・方々に飢饉と地震が起こる

 ・クリスチャンが迫害され、、殺され、憎まれる

 ・人々の間に裏切り、憎しみ合い、つまずきが起きる

 ・にせ預言者が多く現れ、人々を惑わす

 ・不法がはびこり、多くの人たちの愛は冷たくなる


(・-・)…ん? ほとんど今日起きてるようなことばっかりだ・・・ ということは  ((;゚◇゚)ガクガクブルブル


「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が

来ます。]


ふむふむ、ということは、この世界には終わりがあるものの、全世界の全国民に神様を信じるチャンスが

あるってことだ。


これらの後、天の万象が揺り動かされる


 → 太陽が暗くなる

   月は光を放たなくなる

   星が天から落ちる

   人の子のしるしが天に現れる = イエス様が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来られる


⇒ イエス様の再臨


・イエス様の語られたことを吟味し、悪い者たちに惑わされたり、騙されないようにする必要がある


(適用)


 ・自分の周り(家族、近所、知人)の人で問題を抱えた人、困っている人を助けることで、神様の愛を

  表現する

偽善の律法学者、パリサイ人たち


 言葉と行動が全く異なっていた。自分の正しさを見せるために目立つように祈り、人からの尊敬を受けたい

 一心で行動していた。口では立派そうなことを言うが、心は神様から遠く離れており、神様を愛してはいな

 かった。


 → つまりは、救われていなかった。さらに悪いことには、彼らの周りの人々をも救いから遠ざけていた



忌まわしいもの・・・


・天の御国を遮る - 自分も入らず、他人にも入らせない


・やもめたちの家を食いつぶす(憐れみのない行動をする)くせに、人前で霊的な振りをする


・改宗者を自分たちと同じように偽善者に育てる


・目の見えない手引き - 真理を知らないのに人を教えたがる


・律法を形式的に守っているふりをするが、本質から外れている


・外見や語る言葉は正しく見せるが、心の中は罪と欲望で満ちている


・自分は罪を犯していないと嘘をつく


・神様が遣わした正しい人を自分のプライドと立場を守るために、ことごとく迫害した


⇒ イエス様が一番嫌われたのは、心と行動がかけ離れている偽善である


(適用)


 ・罪を犯したり、悪い思いが来たら、告白してすぐに悔い改める


 ・人から良く見られるための行動をしない。正義、憐れみ、誠実によって行動する

◎聖書を悟らない人々


 ・復活を信じないサドカイ人 → 聖書も神の力も知らない、読んでも悟らなかった

                      復活のとき、人は天使のように娶ることも嫁ぐこともない



 ・型にはまったパリサイ人 → 自分が正しいと思い込む。イエス様を試すために質問した



律法の中で大切な戒め

 ・心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。

 ・あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ


律法全体と預言者たちの主張はこの2つに要約されている。この2つを守るなら律法を守っている


 ⇒ 律法は愛を土台として与えられたものである


(適用)


 ・友人を夕食に招くことになっているので、しっかりもてなす。話しをゆっくり聞く


 ・神様をもっともっと愛せるように、聖書を読んで終わりでなく、会話する(祈り)時間をもつ

天の御国のたとえ - 王子の結婚披露宴


 王子の結婚式に招待されていた人は、かなりの有力者、リーダーのはず

 しかし招待客は誰も来たがらず、気にもかけないまま自分たちの仕事をしていた


 王子、王に対して全く敬意を払っていなかった → 町で出会った者たちをみな宴会に招く


とっても不思議なたとえだ。こんな国があったら滅亡の危機・・・ (;゚◇゚) あっ、やっぱり・・・

これはイスラエルのことだ。今でこそ再建して国があるけど、一旦イスラエルは滅んで、全世界に

散らされてしまったんだよね。


でも彼らの失敗のせいで、本当なら招かれていなかった、いなかっぺ異邦人にも天の披露宴に

参加するチャンスが回ってきた。招待される人は多いが、それにふさわしい人は多くない。

神様はすべての人が滅びるのは望まず、天の御国(結婚披露宴)に招いておられるが、

多くの人は気に留めず、悪意をもって拒絶してしまう(イスラエルの姿)。

こうして、多くの人々に天の御国の門が開かれたわけだが、宴席に婚礼の衣装を着ていない人が

混じっていたらしい。天の御国に入るのは誰にでも許されているが、ふさわしい態度、心、つまり、

主の弟子として生きることが必要だと思った。



さて、舞台は変わって、パリサイ人はイエス様を言葉の罠にかけて、糾弾しようと企む。そのため、

昔から仲の良くなかったヘロデ党と結託した。昨日の敵は、今日の友?


「税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか」


きっとこの問題は宗教指導者の間でも悩みの種だったと思われる。彼らにとって神は唯一。それゆえ

神の子を語っているローマ皇帝に従うことは異神に従うこと、かと言って従わなければ捕らえられ、

殺されてしまう、といったジレンマの中にいたと思われる。


イエス様が


「納めよ」 (律法にかなっている)と言えば 

 → 主だけを愛し、仕えよという律法に背いたと言ってパリサイ人が捕らえ、宗教裁判にかける


「納めるな (律法にかなっていない)と言えば

 → ローマ皇帝への反逆罪としてヘロデ党の者がイエス様を逮捕、ローマ裁判にかける


という魂胆だったのだろう。なるほど、人間的にはよく考えたトリックだ、 が相手がイエス様だから・・・


イ) 「これは、だれの肖像ですか。だれの銘ですか。」


パの弟子) 「カイザルのです」


イ) 「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」


イエス様は非常にユーモアとウィットに富んだ方だ。納めるかどうかでなく、返しなさいと答えた。


当時のデナリ硬貨には、カイザルの肖像が彫ってあったらしい。ということは、カイザルが自分で

作らさせた彼の硬貨であり、お金は、経済流通のために彼から硬貨を借りているというのだ。

おもしろいね。


それでは、気になるのは後半、「神のものは神に返しなさい」という意味であるが・・・


話の流れからすると神の肖像、銘のあるものだ・・・ それは人間そのものかなぁ?なぜなら

創世記1:26で「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう」と神様がおっしゃって

人が造られたわけだから。とすると、人を神に返すとは、神様を知らずに生きている人たちに、

神様の愛を知らせて、神様のところへお連れすることなのかな。


(適用)


 ・神のもの(神様の造られた人)を神に返すため、人々に謙遜に仕える、接する。


ユダヤ人の王として首都に来られたイエス様だったが・・・


 ロバの子の背に乗っての登場 見かけはみすぼらしく、王様の登場シーンとは思えなかったが、

 群集からの人気は絶大で、大騒ぎになった。そして向かった先にあったのは・・・


神殿の中でいけにえとして捧げるための動物、両替商たちであった。


 ※ 本来自分たちのためのいけにえは自分自身で用意すべきであった。しかも最良のものを


イエス様はそれまでとは違い、尋常でないほどに怒りを発せられた。神を恐れず、心にもない礼拝を捧げる

ことは非常に恐ろしいし、神様も嫌われる。人々が憐れみを受け、神を礼拝するはずの場所が、ビジネス

センター、心の伴わない見せ掛けの場所になってはいけないのだ。


イエス様は見せかけを立派に飾るが、実のところ良い実を結ばないものを憎まれる


 → 葉っぱばかりで実のないいちじく (いちじくは、葉っぱが茂っていたら実がついているはずらしい)


◎神の国に入る者


神様と神様の遣わした人を信じ、悔い改めて受け入れた者


 ⇔ 祭司長、パリサイ人たち → 決して悔い改めず、ますます神に遣わされた者たちに逆らい、

                      神を拒絶するようになる


(適用)


 ・悔い改めの心を持って生きる → 自分の過ちを素直に認め、人の話、神の心を受け入れる


 ・形式的(心の伴わない)礼拝、行ないを避ける

神様は憐れみ深い神だということはなんとなく理解できるが、時々想像をはるかに超えていることがある。

今日の箇所はまさしくそれだと思う。


「あとの者が先になり、先の者があとになるものです」 16節


◎ぶどう園の主人と労務者たち


早朝・・・ 一日1デナリの契約を結ぶ


朝9時頃・・・ 「相当なものをあげる」と約束


12時頃、3時頃・・・ 朝9時の者たちと同様


夕方(5時)・・・ 「ぶどう園へ行きなさい」 - 何かをやるという約束をしていない


さて、それぞれ賃金をもらって帰ることになるが、ナント、主人、一番最後に来た者から順に渡している

ではないか。しかも1デナリ!何かをやると約束されていないのに、主人に言われるままやって来た甲斐

があった。そして途中から働いていた者も1デナリ。相当なものという約束だからね。


最後に早朝から汗水垂らして働いた人々~ 1時間で1デナリもらって行ったんだからな~ と膨らむ期待


  o(^◇^)o ワクワク  (;゚◇゚)モウカリマッカ   1デナリ!!  ヽ(;゚〇゚)ノはぅ!   (◎`ε´◎ )ブーーー!


すごい経営である。1節に天の御国は~ようです、と例え話だからまだしも、実際の経営でこのシステム

を導入したら、すぐに倒産してしまう。だって・・・みんな5時出社するでしょ?


神様は不公平? そうではなく、報酬と恵みの例えだ。神の恵みは世の中の常識とは違うんだろうな。


早朝から働いた人々ってのは恵みではなく、当然受けるべき報酬だよね。だからきっとこの人たちは

1デナリなんてもらって当然って思っていたんじゃないかな。中途採用者は半分恵みだよね。働いて

いない分までもらえているんだから。でも最後に来て1時間しか働いていない人はまったくの恵みだ。

だってお金もらえるなんて言われてないけど、主人が何かくれるかもって信じてついて行ったんだから。


行ない(仕事量や質)によって評価されることが当たり前の世の中だけど、天の御国ではそうじゃないよ、

天のお父さんは憐れみ深いよって言ってるように思う。きっと早朝や早い時間に雇われた人たちは、

仕事のできる体力、知力が十分な人だっただろうけど、誰も雇ってくれない人、言い換えれば、誰も雇い

たいと思わないような人って、どんな人だろう?とるに足らない人、賃金を払う価値がないと判断された

人たちだろう。そんな人たちのことも神様は気に留めて、「彼らには1デナリもらう資格はないかもしれない、

でも私は彼らにも同じようによくしてやりたい」と言ってくださるんだな。感謝!


(適用)


 ・天の父の憐れみに感謝し、自分も憐れみと恵みを表す行動をしたい


 ・教会とセル、団地の人々に仕える(助ける)