(……ん、あれ……。俺、生きてる?)

 

重い瞼を開けると、視界に眩しい光が飛び込んできた。 

「気がつきましたか! しっかりしてください!」 

オレンジ色の制服を着た屈強な男たちが、俺の顔を覗き込んでいる。

 

どうやら俺は、あの船底の配管室で気絶していたらしい。 

「あんたが通報してくれたおかげで、ギリギリで間に合った。C4爆弾の起爆装置も無事に解除したよ。あのまま通信が遮断されていたら、手遅れになるところだった。よくやってくれたね」 

海保の隊員さんが、俺の手を力強く握って爽やかに微笑んだ。

 

(……助かった。助かったんだ……!!)

 

俺は安堵のあまり、隊員さんの胸でボロボロと泣いた。 

思い返せば地獄のような数時間だった。

シャッターから締め出され、テロリストと遭遇し、胃薬で買収し、ヤケクソでジャミング装置の電源をぶち抜き、最後は高級ガラス瓶でスプリンクラーを破壊した。 

ただのマネージャーが経験していい致死量を、軽く超えている。

 

 

 

 

「あの、上の階にいる……全身金ピカの男は……」 

 

「ああ、あの人なら無事ですよ。……というか、ピンピンしてます」

 

 

 

 

隊員さんに肩を貸してもらいながら、俺はメインホールへと向かった。 

会場はすでに制圧され、濡れた大理石の床には、毛布で簀巻きにされたテロリストどもがズラリと転がっている。

 

そして、そのホールの中心。 

救急隊員が差し出す保温用のアルミブランケットを「俺の完璧なゴールドの輝きを隠すなど、言語道断だ!」と払い除け、ドヤ顔でポーズを決めている男がいた。 伊集院ヴァンだ。

 

「……ヴァン、さん……」

 

全身ずぶ濡れで、機械油とホコリにまみれたボロ

 

 

ボロの俺が這うように近づくと、あの人はゆっくりとこちらを見下ろした。

 

「山田。遅い」 

 

「……へ?」

 

「俺の最高のパフォーマンスを特等席で見逃したばかりか、なんだその見苦しい姿は。美の欠片もないな」

 

労いの言葉など、最初から期待はしていなかった。 

でも、まさか第一声でダメ出しをされるとは思わなかった。

俺はプルプルと震える唇を開いた。

 

 

「あの、俺……下で、爆弾を……その、水で……」 

 

「言い訳は美しくないぞ。それより、俺が頼んでおいた『硬度1200のオーガニックミネラルウォーター』はどうした。この通り、俺の喉はカラカラだ」

 

俺は、自分の手ぶらの両手を見下ろした。 

あの極厚の高級ガラス瓶、緊急用バルブを叩き割った時に粉々になって、船底の海水の底に沈んでいる。

 

「あ、あれは……その、事件を解決するための、鈍器として……」 

 

鈍器? 俺の体を内側から輝かせる至高の水を、野蛮な暴力の道具に使ったというのか?」 

 

「いや、暴力っていうか……」 

 

「もういい。お前のその手際の悪さには、心底失望した。帰ったら反省文を原稿用紙100枚だ」

 

 

 

 

パチンッ、と。 俺の中で、最後に残っていた理性の糸と、胃の粘膜が同時に弾け飛ぶ音がした。

 

「……辞めてやる」

 

 「ん?」

 

 「絶対に辞めてやるぅぅっ! 労災! 慰謝料! 全部請求してやるからなバカヤローッ!!」

 

……

 …………

 

数日後。

 

『この度は、豪華客船シージャック事件における山田様の勇気ある行動に深く感謝し……』

 

俺のデスクの上には、立派な感謝状と、ニュースを見た製薬会社から段ボール箱で送られてきた『強力胃腸薬・一生分』が置かれている。

 

「山田ァ! 次のパーティー会場への出発時間はどうなっている! 俺の美しさを世界が待っているんだぞ!」 

 

「は、はいっ! 今すぐ車回します!」

 

 

俺は胃薬をボリボリと噛み砕きながら、今日もスケジュール帳を抱えて走り回る。 

あの日叩きつけた辞表は、ヴァンさん本人から「『辞』という漢字のハネの角度が美しくない」という理不尽すぎる理由で突き返された。

 

 なんで俺が。

なんで俺ばっかり。

泣き言をこぼしながら、世界一運の悪くて不憫なマネージャーの日常は、これからも続いていくのだ。