>縁もゆかりも無い筆者なのに
ここがポイントである。
身近にいる人達とは立場が違う。
舞踏花邑流門下生の方々には「花邑先生」で違和感が無い。周囲の関係者も全く同じ。
これに対し、筆者は花邑一弥に縁もゆかりもなし。
弟子ではない。
会ったことがない。
話したこともない。
同じ「縁・ゆかり無し」でもノーベル賞・山中教授のような場合は一般的に「先生」となる。仕事自体が典型的学術的教職。山中氏と縁もゆかりも無さそうなTVキャスターが「山中先生」と呼んでいる。そしてそれに違和感が無い。
では、筆者が「花邑先生」「花邑先生」と連呼することには、どのくらいの違和感があるか?
いやそれ以前に、筆者は本当に「花邑先生」「花邑先生」と連呼しているのか? 本当だとすれば、どこでそれは行われているのか。
まずはそこから確認してゆかねばならないだろう。
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この命題に実感のある関係者はほとんどいない。
なにしろ、筆者が「花邑先生」という用法を使っているのを「耳にしたことのある」人・・・・が「殆ど」いない。使われた場合でも、たいてい会話の中で一度きりで終わっている。なので印象に残らない。
そもそも筆者と会話した経験のある八戸市関係者すら、ほとんどいない。
▼花邑一弥本人・・・・・話したことがないので「先生」と呼びかけられようが無い。
▼小西礼子・・・・・花邑を話題にした量は、記憶では瞬時。従って条件反射で「花邑先生」と呼称してしまっていた可能性は限りなく低い。
▼三日町三栄会窓口担当・・・・・花邑を話題にした量は小西の時より少し多い。従って一度くらいは、思わず「花邑先生」と呼称してしまった可能性が、確かにある。しかしすぐ意識が戻るので、このケースでは必ずすぐ「花邑さん」と言い直す。なので担当の記憶には残らない・・筈。
では、どのケースだと「すぐ言い直さない」のか。「花邑先生」「花邑先生」と連呼し続けるのか。
もうお判りでしょう。
「前川原チカ子と話した場合」・・・・・・この時に、花邑先生!という引用での使い方になる。
たまに「花邑さん」という使い方も混ざるが、すぐ「花邑先生」に戻る。
「ご主人」という言い方がそぐわないからではない。それだったら「花邑さん」で済む筈。
そうではなく、前川原は筆者から「花邑先生」「花邑先生」の連呼をずっと聞かされ続けた=今回命題の証人。
問題は前川原がこれを自然に感じていたかどうか。
筆者の業界での立ち位置を薄々察していたなら、不自然に感じてなかった可能性もある。
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前記事
【1163】 挨拶でアガるorセンスを欠く地方歌手=素人 一覧/池田永遠 主催大会 2019越谷
で使用した動画。
9人目登場、渚かなで。動画2分26秒箇所。
『池田先生。本日はおめでとうございます。Kanadeで御座います。』
Kanadeの成長の跡がよく伺える挨拶!
★とりあえず「よく判らない先輩」は全部先生と呼んでおこう。
★〇周年記念とかのリサイタルじゃないけど池田さん主催のイベントとしては大規模な大会だから、リサイタルゲストの時と同じように「おめでとう」と言っておこう。
★『Kanadeで御座います。』だけじゃおかしいから、何か付け加えたいな。でも「頑張ります」「よろしくお願いします」は歌手として間抜けだからあたしは言わないぞ。他の歌手はそう挨拶してもあたしは絶対言わないぞ。
何という素晴らしい歌手だろう。
何という成長の跡だろう。
何か言葉を続けようとして彼女は言葉を飲んでいる。動画で様子が見て取れる。言葉を飲んで正解なのだ。気の利いた言葉を何も思いつかなくても、それで充分なのだ。頑張りますを真似なかったことで、Kanadeは充分基準点をクリアした。
スカイツリーライン沿線拠点の三流歌手達に大きな差を見せつけた。
渚かなでは二流であっても三流ではないことが証明されたのだ。
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>先生と呼んでおこう
これの学習が全てである。
筆者も2017年後半期~2018年にかけて、ここに到達した。
扱いに困る年上の後輩を「苗字ちゃん付け」で呼ぶ。これは芸能界やドラマからスタートして世間が真似たのではない。昭和中期から行われていた。
このてのものは誰が考えても同じアイデアにしかならない。
これと同じものが地方歌手の世界にもあった。
2017年はほぼ筆者店通いの時期。2018年からイベント観覧へシフト移行。
2019年からは全く店に行っていない。聴くほうにシフト移行。
この2017年後半期~2018年にかけての時期に、ある写真屋が筆者に影響を与えた。
イベント写真屋である。
このてのイベント写真屋はイベント音響屋とセットになっていることが多い。
その前段階の話・・・として、
まず筆者がイベント(素人参加を兼ねた歌唱大会)をあちこち巡る時、歌手の繋がりの絡みでどうしても大会スタッフが被ってしまう。
当時よく赴いたイベントでは、高確率で音響屋が三田ひろし。そうなると写真屋も毎回同じ会社がやって来る。
このイベント写真屋の役割は、まずホール座席後部に陣取り素人から歌手まで「歌唱している晴れ姿」を撮影。
それを会場入り口近くのロビーに展示して販売。
どの写真屋もだいたい同じ。
一方、筆者はおとなしく席でステージを観覧するのではなく、
ロビーで知人の歌手と話し込む →← ホール座席後部に移動して立ち見でステージを観覧。
ほぼこの繰り返し。
つまり写真屋と「動線」が被る。
ある時、写真屋のガンを飛ばしてくるような視線を確認。
向こうがどういう不審感を抱いているかはだいたい判るので、それ以降各歌手と会話している様子を意図的に見せつけ、疑念を払拭させた流れでじょじょに語り掛けることも始めた。
それ以降は、出くわすと目礼を交わすようになる。
筆者もロビーでの居心地が良くなり、比較的写真屋の席に近い位置にも座れるようになる。
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そしてある時、衝撃的な写真屋の言動をロビーで目撃することになる。
なんと!
美樹ようこに対して「先生!」「先生!」と、立てていたのだ。
この歌手は教室持ちの指導者ではない。聞いたことがない。キャラも違う。
それでも写真屋にとっては先生なのだ。
なるほど、こうしなきゃいけないんだな。
筆者が一皮むけた瞬間だった。
これ以降、ある程度自分の中で習慣化する。
上述のように、引用のケースだったとしても、そぐわない場面だったなら使わない。
馴染んだ相手とは(あまり呼びかける状況にならないので)、心なしか使う頻度は少ない。
大勢で会話していて、直接のトーク相手が対象歌手と関係が深そうなケース・・・・このケースでは頻繁に多用される。
上記前川原の場合もこれに準ずる。
今後仮に花邑一弥と遭遇する機会を得たとして、第一声もしくは会話の初期あたりなら、「花邑先生!」と自然に口をついて出ることだろう。
ここまで書いて、一般の方はやっと納得したろうが、
業界関係者なら当記事冒頭の時点である程度読み切っていたに違いない。
さほど不自然なことではないのである。