4年ぐらい前までは、いくつか首里手系沖縄空手のセミナーに積極的に足を運びました。
その中で、印象に残っているセミナーをいくつか書いておきましょう。


もう7~8年前にもなりますか、小林流小林舘のセミナーに片道2時間かけて神奈川県厚木まで行ったことがあります。
確か朝10時に本厚木集合だったので、土曜日なのにかなり朝早くに起きて出かけました。

そのセミナーで、小林流小林舘教士八段・前城敬弘氏にお会いして、私が東京で珍しくも沖縄空手をやっているということで、とても懇意に指導していただきました(特別に何度も声を掛けていただきました)。
同じ沖縄の首里手系をやっているという仲間意識を持っていただいたおかげですが、とても感謝しています。
また今もアメブロでつながっている小林流研心会館のふくちゃんさん(当時彼はこぶしさんと名乗っていました)とは、このセミナーで知り合いました。
セミナーだけでなく、そのあとの飲み会や帰りの電車の中で延々と空手談義したのを今も覚えています。

そして彼は、この後私の稽古場にやってきて、合同稽古を行いました。
その辺の話は、またのちほど。



次に5~6年前でしたか、沖縄拳法西原道場師範・西原治氏によるセミナーがあったので、これにも参加。
「後の先」だの、相手の動きを先読みするだの、攻撃を透かしたりだの、かなり変わった用法のオンパレード。
合気道や柔術からの濃い影響を感じました。

しかし基本的には、この方法では『間に合わない』と直感しました(西原氏が今はどうやっているのか全く知りませんが、その当時のやり方では間に合わないと感じました)。
しかも、敵を仕留めるに至るお互いの態勢に前提条件が多すぎて、これはよほど熟達しないと使えないと思いました。
その当時も今も私は基本的に一人稽古を強いられていますから、取手にせよ後の先にせよ、相手がいないと全く上達しませんので、この流儀は私向きではありませんでしたね。



さらに同じころ、別会派の沖縄拳法のセミナーに行きました。
ここは、『泊手』として近年派手に売り出した山城美智氏が主宰する沖縄拳法です。
もちろん開祖・中村茂の沖縄拳法は泊手ではなく純然たる首里手ですので、『泊手』を標榜する山城氏には別の意図があるのでしょう。

さてここの特徴は、沖縄相撲や棒の綱引きなどにより養成した力(筋力)を活かすことです。
ですから、同じ沖縄拳法を標榜していても、西原氏の沖縄拳法とは、似ても似つかぬ真逆なもので、これが同じ沖縄拳法なのかと奇異に思いました。
実際、山城氏は背は大きくありません(私と同じぐらい)が、胸板の厚さ、腕や足の太さが異常なぐらい大きいのです。
手首などは、優に私の倍近くありました。
この体格で突くのですから、威力は大きかったです(とはいえ、YouTubeにあるように試し打ちと称してレバー打ちを喰らわすのは、さすがにまずいと思いますけどね…)。

私は沖縄相撲や棒の綱引やウエイトトレーニングには全然興味なく、また突きの威力が山城氏の体格ゆえであると考えましたので、この流儀も私向きではありませんでした。
もちろん、一撃必倒を突きの威力でやる、というシンプルなコンセプトには大いに賛同します。


ところで、このセミナー参加者の中に「隠された空手」著者の桧垣源之助氏(ペンネーム)がいらっしゃいました。

山城氏のセミナーの中で、相手の突きを受けて即座に反撃する約束組手のようなカリキュラムがあり、私は偶然桧垣さんとペアになったのです。
当時「隠された空手」という本の存在は知っていましたが、まさかその著者が来ているとは思ってもいなかったので、相手した人がまさかその人本人だとは露ほども思わず。
2~3回突き受けをやったところ、この相手はなんだか強力な返しをしてくるな、今までやってきた空手家達との約束組手とはちょっと違う制圧感だぞ、と思いました。
ああ、約束組手とはこういうやり方でやってこそ効果があるのだなと、瞬時にそう思わさたのです。
制圧感がそれなりにありましたね、もちろん私も負けてはいませんでしたが。

2人で15分ほど本格的にやったでしょうか、やればやるほど2人でエキサイトしてバシッバシッビシッビシッと。
そのうち周囲の4~5人が我々2人を取り巻いて見始めました。
周囲のささやきで、この時初めて相手が桧垣源之助氏だと知らさました。
なるほど、この人がそうか!

桧垣氏に実践的な約束組手を相手していただいたことは、そののち約束組手を研究する上で大いなるヒントとなってくれましたね。
このことはとても感謝しています。



結局これらのセミナーは、どれも1回出席したにとどまりました。
では、当時最も期待した本命中の本命セミナー、無想会・新垣清氏のセミナーに参加した話は、その7に書くことにしましょう。

(その7に続く)