速攻で携帯に電話を入れ、会いに行ったその相手とは、剛柔流尚誠館館長・寺島清恭師範でした。
今もなおYouTubeに多くの動画をアップなさって、ご自身の流儀を積極的に公開なさっています。


会うや、さっそくその日からレクチャー開始。
都合1か月半ほど、神田の道場に毎週1~2回通って、2時間弱ほぼマンツーマンもしくは少人数で集中的に教わりました。

私が最も感動したのは、あの、何が書いてあるか読み取りにくい新垣清氏著「沖縄武道空手の極意」を綿密に読み取り解析し、ご自分なりに咀嚼(そしゃく)し身体操作に具体的に落とし込んでいたことです。
ですから、寺島先生からガマク、チンクチ、袴腰、仮想の重心、倒地法、動歩行、鞭身、餅身、一拍子などをレクチャーしていただいたことで、再度目からウロコが落ちると同時に、今まで胸の中にわだかまっていた疑問や問題点の多くが解けました。


寺島先生の教え方は非常に科学的で、例えば大腰筋(インナーマッスル)を引き上げる事による効能を、体重計を使って明確に示してくれました。
これには私も感動し、さらにこの体重計に私が載って実際に大腰筋を引き上げた証拠を示せた時は、今でも忘れられないほど大感激しましたね。
おお!、やりゃあ俺にも出来るんジャン…、ってね。

私より10歳ほど若いのですが、端正なマスクに目つきと身のこなしは精悍そのもの。
明るく弁舌も立ち、説明能力も半端なく高いです。
理論家ではありますが、口先ではなく殴り合いの自由組手が大好きで、今も各種の自由組手の交流会に出て実践されています。

このように、空手に対する取り組み方や日常の行住坐臥にわたる行動は『武人』そのもの。
常に木刀を持ち歩き暇があれば素振りを欠かさず、またその木刀で間合いの取り方や日本武術の用法を研究していました。


実は私は、今や完全に幽霊部員ですが、尚誠館に入門したことになっています(抹消されていなければ、ですが…)。
そして寺島先生とは、年賀はがきのやり取りをして現在も一応もつながっています(←ま、むこうはとっくに忘れていらっしゃるでしょうが…)。
このような素晴らしい先生ではありますが、なぜ尚誠館に残って続けて教わろうとしなかったかと言いますと、一つには私の性分として今更なじみのない他の流派に入り直してゼロから再スタートする気がなかったこと(この時すでに56歳ぐらいでしたから)、もう一つは寺島先生は剛柔流一筋に究めようとなさっていて、首里手の研究はあくまで対剛柔流対策としての副次的なものであったこと、この二点です。

このように私は、寺島先生から教わった非常に重要なガマク、チンクチ、袴腰、仮想の重心、倒地法、動歩行、鞭身、餅身、一拍子などなどを、今後は自分だけの能力で研究し鍛錬しようと思い、さらなる一歩を踏み出すことにしました。

(その6に続く)