本格復帰してから2年間は、中断していた松林流の基本、移動基本、形(型)、約束組手、小手鍛えなどを、以前のレベルと同等かそれ以上に回復するための稽古に専念しました。
その間、教えて欲しいと言ってきた初心者を中心に、日曜教室のようなものを作って教えました。
私があまりにも性急に自分自身のレベル回復しか念頭になかったので、この当時は生徒もついて来れずみんな辞めてしまう有様だったのは、前回までの記事に書いた通りです。


2年して、そこそこレベルが回復した自信が出てきたので、その後の5年間ほどは、有名空手家のセミナーに出席したり、これと思う師範に直に会って指導を乞うたり、若手空手家のオフ会に参加したり、私の稽古場に呼んで合同稽古をやったりしました。
ある程度オープンな世界に身を置くことによって、現時点での、大まかな自分の実力が知りたかったのです。

結果としてこの5年間は、実にいろいろなことを学ばせていただき、大きく目を見開くことにもなり、自分の空手観(勘)を養成する大いなる糧となりました。
そして自分及び他者を客観視出来るようになったことは、独りよがりにならずいわゆる『魔境』に陥って偏狭な自信をつけることもなく、また”先生”と呼ばれる存在に対して過剰な期待感や奇妙な影響を受けることもなくなりました。

では、これからしばらくはその5年間の話をします。



まず、私が空手に復帰しようと思うようになった最大のきっかけの一つは、沖縄空手道無想会・新垣清師範が書いた「沖縄武道空手の極意」(今のところ全4巻)を読んだ時の衝撃があまりにも大きかったからです。
まさに目からウロコ状態でした。
いままでの空手観が大きく覆り、これまで抱えていた空手のやり方に対する様々な疑問点が、さらなる巨大な疑問点となって噴出したのです。

新垣清氏が、同じ松林流という同門出身であったことも、非常に大きなインパクトとなりました。
例えば、私の空手の一番最初の先生で高校生の時から6年ほど指導を受けてきた、元世界松林流副会長・高村成弘先生からは、在籍中にガマクなどという言葉を一度も聞いたことがありませんでしたから。
ガマクって何?、鞭身って何?、不安定の中の安定って何?
あの、何回読んでも何を意味しているのか分かりにくい文章を読んだだけでは、頭は増々混乱するばかりです(苦笑)。

私の性分からして、居ても立ってもいられず、ご本人にぜひ会って指導を受けたいと熱望しました。
ところが新垣清氏ご本人は、米国ユタに在住して活動しているため、中々会えるものでもありません。
なにより、道場に定期的に通うことは絶望的に不可能です。

しかしなんと!?
ここで、東京都心に救世主が現れたのです。
その方は、ご自分の空手サイトに動画を載せ、ガマク、チンクチ、鞭身、餅身、袴腰などの首里手用法を事細かに解説していました。
今から8年も前、国内にそして東京に、すでにこういう方がいらっしゃったのです。

私は速攻で、この方のサイトに載っていた携帯番号に電話してみました。
そして、実際にお会いして指導していただくことをリクエストしました。


アポを取った当日の夜、私は都心の神田にある剛柔流の道場に向かいました。
その方は剛柔流の師範で、当時ご自分の流儀を確立し独立して間もなくだったことで、先輩の道場に間借りしていたのです。

(その5に続く)