大阪市中央公会堂 煉瓦造壁強度試験跡
阪大生によるドキュメンタリー映画 中之島に賑わいは生まれるか
を後にしてB1Fを歩いていると見つけたのが
煉瓦壁
煉瓦造壁強度試験跡と書かれたものがあった
地下にあっただけに気付かなかったなぁ
次は岩本栄之助氏像 へ
を後にしてB1Fを歩いていると見つけたのが
煉瓦壁
煉瓦造壁強度試験跡と書かれたものがあった
地下にあっただけに気付かなかったなぁ
次は岩本栄之助氏像 へ
野田の街並
同慶地蔵尊
を後にして
次のお地蔵さんまで街並みを楽しみながら進みます
こちらはお風呂屋さんだそうです
歴史を感じますね
水用と書かれた 水をためておくためのものかな
レンガ舗装
今でも残るというのは珍しいですね
レンガには文字が書かれているそうです
×しかわからなかった
次のお地蔵さんまで街並みを楽しみながら進みます
こちらはお風呂屋さんだそうです
歴史を感じますね
水用と書かれた 水をためておくためのものかな
レンガ舗装
今でも残るというのは珍しいですね
レンガには文字が書かれているそうです
×しかわからなかった
フローティング・ダックと八軒家浜
大阪金相場会所跡
を後にして向かったのが
京阪電車 天満橋駅近くにある八軒家浜
巨大なアヒル フローティング・ダックを間近に撮影してみました
大阪旅めがね エリアクルー勉強部会
の時は 夜だったので また違った顔に見えますね
川の駅 はちけんや の近くで案内板を見つけました
こちらにはこう書かれてありました
江戸時代 天神橋と天満橋に挟まれた大川南岸が
八軒家と呼ばれた
八軒家には京都と大坂を結ぶ三十石船が発着する船着場があり
淀川における貸客輸送のターミナルであった
道沿いには旅籠や問屋が並び 船着場は旅人や運送にかかわる人々
客を呼び込む人たちの喧騒に包まれていた
その様子は 落語 「三十石」 や十返舎十九の 「東海道中膝栗毛」
にいきいきと描かれている
この地域は八軒家と呼ばれる以前には渡辺と呼ばれ
渡辺津を中心に平安時代から瀬戸内と淀川を結ぶ水上交通の拠点として栄えた
また 熊野三山への参街道である熊野街道の起点であり
交通の要衡として古くから賑わいをみせるところであった
現在も船着場が整備され 「みち」と「かわ」を繋ぐ
水の都大阪の拠点として賑わいをみせている
次は小楠公義戦之跡碑 へ
を後にして向かったのが
京阪電車 天満橋駅近くにある八軒家浜
巨大なアヒル フローティング・ダックを間近に撮影してみました
大阪旅めがね エリアクルー勉強部会
の時は 夜だったので また違った顔に見えますね
川の駅 はちけんや の近くで案内板を見つけました
こちらにはこう書かれてありました
江戸時代 天神橋と天満橋に挟まれた大川南岸が
八軒家と呼ばれた
八軒家には京都と大坂を結ぶ三十石船が発着する船着場があり
淀川における貸客輸送のターミナルであった
道沿いには旅籠や問屋が並び 船着場は旅人や運送にかかわる人々
客を呼び込む人たちの喧騒に包まれていた
その様子は 落語 「三十石」 や十返舎十九の 「東海道中膝栗毛」
にいきいきと描かれている
この地域は八軒家と呼ばれる以前には渡辺と呼ばれ
渡辺津を中心に平安時代から瀬戸内と淀川を結ぶ水上交通の拠点として栄えた
また 熊野三山への参街道である熊野街道の起点であり
交通の要衡として古くから賑わいをみせるところであった
現在も船着場が整備され 「みち」と「かわ」を繋ぐ
水の都大阪の拠点として賑わいをみせている
次は小楠公義戦之跡碑 へ
阪大生によるドキュメンタリー映画 中之島に賑わいは生まれるか
大阪中央公会堂 3F 中集会室を後にして
B1Fへ

EVを降りて一番奥
気になったので入ってみました

中に入ると まず 4分ほどの映像を見ます
そこでは 中之島の様子が写されていました
そのあと 中之島取扱い説明書を見る
うまくまとめられていました
中之島の新しいとらえ方を少しわかることが出来たかなぁ

最後に ほんまやを頂きました
なにわ育ちのおいしい水 ほんまや
とはまた違う パッケージ
期間限定 水都 "ほんまや"
製造本数は 70000本だそうです
次は>大阪市中央公会堂 煉瓦造壁強度試験跡
B1Fへ

EVを降りて一番奥
気になったので入ってみました

中に入ると まず 4分ほどの映像を見ます
そこでは 中之島の様子が写されていました
そのあと 中之島取扱い説明書を見る
うまくまとめられていました
中之島の新しいとらえ方を少しわかることが出来たかなぁ

最後に ほんまやを頂きました
なにわ育ちのおいしい水 ほんまや
とはまた違う パッケージ
期間限定 水都 "ほんまや"
製造本数は 70000本だそうです
次は>大阪市中央公会堂 煉瓦造壁強度試験跡
大阪金相場会所跡
水都アート回廊⑧ 大阪証券取引所ビル
を後にして入口のところを振り返ると
見つけたのが大阪金相場会所跡
ココに書かれていたことは
近世 大阪はもとより全国の標準とされた金銭相場の立会は
寛保3年 (1743年)以後 ここ北浜の金相場会所で行われた
と書かれてありました
江戸時代の貨幣制度は、大別すると計数制と秤量制であり
金は両、銭は貫、銀は秤ではかる匁など複雑な面があったそうです
その上、関西は銭、関東は金と流通範囲が自然に分かれていた
そして相互の交換は法定されてはいたもののあまり信用されず、
実際には相場が立てられそれが標準 になった
そのため金相場の会所は存在価値が高かった
会所は最初高麗橋付近にあったが、のち現地に移り、維新後、銀目取引廃止にともない閉鎖された
とのことです
このあたりには史跡が多いですね
を後にして入口のところを振り返ると
見つけたのが大阪金相場会所跡
ココに書かれていたことは
近世 大阪はもとより全国の標準とされた金銭相場の立会は
寛保3年 (1743年)以後 ここ北浜の金相場会所で行われた
と書かれてありました
江戸時代の貨幣制度は、大別すると計数制と秤量制であり
金は両、銭は貫、銀は秤ではかる匁など複雑な面があったそうです
その上、関西は銭、関東は金と流通範囲が自然に分かれていた
そして相互の交換は法定されてはいたもののあまり信用されず、
実際には相場が立てられそれが標準 になった
そのため金相場の会所は存在価値が高かった
会所は最初高麗橋付近にあったが、のち現地に移り、維新後、銀目取引廃止にともない閉鎖された
とのことです
このあたりには史跡が多いですね
大阪中央公会堂 3F 中集会室
おかえり!カーネルを後にして3Fへ向かう

EVを降り 中集会室の扉を開くと

新視角さんの
脈~Artery Wall~というのをやっていました
淀川水系の終端である中之島に
水の終結する滝をイメージした映像を立体的に体感
ということなのですが
始まったばかりだったからかあまりよく分かりませんでした
建物の内部ばかりに気になっていましたが
次は
阪大生によるドキュメンタリー映画 中之島に賑わいは生まれるかへ

EVを降り 中集会室の扉を開くと

新視角さんの
脈~Artery Wall~というのをやっていました
淀川水系の終端である中之島に
水の終結する滝をイメージした映像を立体的に体感
ということなのですが
始まったばかりだったからかあまりよく分かりませんでした
建物の内部ばかりに気になっていましたが
次は
阪大生によるドキュメンタリー映画 中之島に賑わいは生まれるかへ
水都アート回廊⑧ 大阪証券取引所ビル
大阪銀行集会所・大阪銀行協会跡
の次に向かったのが
京阪電車 中之島線 なにわ橋駅 地下 アートエリア B1
水都アート回廊⑥ 適塾 同様 閉まっていました
そのまま 大阪市中央区北浜1-8-16にあります
大阪証券取引所 ビルへ
大久保英治さんの案内板を発見
作品は 気-森の水だそうです
そして中に突入
竹を麻ひもで縛るこの円錐形は大きな砂時計のように僕は見えました
大きいとそれだけで存在感がありますね
案内の人が説明のプリントを見せてくれたので
読みふけってました
次は大阪金相場会所跡 へ
の次に向かったのが
京阪電車 中之島線 なにわ橋駅 地下 アートエリア B1
水都アート回廊⑥ 適塾 同様 閉まっていました
そのまま 大阪市中央区北浜1-8-16にあります
大阪証券取引所 ビルへ
大久保英治さんの案内板を発見
作品は 気-森の水だそうです
そして中に突入
竹を麻ひもで縛るこの円錐形は大きな砂時計のように僕は見えました
大きいとそれだけで存在感がありますね
案内の人が説明のプリントを見せてくれたので
読みふけってました
次は大阪金相場会所跡 へ
おかえり!カーネル
和太鼓とさをり
を見て大阪市中央公会堂に足を踏み入れる
中では何故か人だかりが・・・・
あっ カーネル
2009年3月10日
道頓堀川・戎橋下流200 - 300メートル付近で発見されるまで
都市伝説となっていたカーネル・サンダースの呪い
でも 見るからに痛々しいそのお姿
水都大阪2009 の応援に来ていたんですね
次は大阪中央公会堂 3F 中集会室 へ
中では何故か人だかりが・・・・
あっ カーネル
2009年3月10日
道頓堀川・戎橋下流200 - 300メートル付近で発見されるまで
都市伝説となっていたカーネル・サンダースの呪い
でも 見るからに痛々しいそのお姿
水都大阪2009 の応援に来ていたんですね
次は大阪中央公会堂 3F 中集会室 へ





