黄金火除地蔵
ぼけ封じ33観音 第7番札所
の次も
大阪市北区太融寺町3-7にあります太融寺を散策
見つけました 黄金火除地蔵
黄金というところが気になりますが
下に書いてあります由来が読めなかったので残念
次は真砂厄除地蔵 へ
大阪市北区太融寺町3-7にあります太融寺を散策
見つけました 黄金火除地蔵
黄金というところが気になりますが
下に書いてあります由来が読めなかったので残念
次は真砂厄除地蔵 へ
太融寺 本堂
太融寺 源融公之旧跡
の次は西門から中へ潜入
こちらが本堂です
に来るのは 1回目 ・2回目 と来て3回目
でも本堂の撮影をしていなかった僕
さぁ 散策するぞ~
次は 太融寺 ぼけ封じ33観音 第7番札所 へ
こちらが本堂です
に来るのは 1回目 ・2回目 と来て3回目
でも本堂の撮影をしていなかった僕
さぁ 散策するぞ~
次は 太融寺 ぼけ封じ33観音 第7番札所 へ
太融寺 源融公之旧跡
大石内蔵助良雄實父権内良昭墓
の次に訪れたのは
大阪市北区太融寺町3-7にあります太融寺
中に入る前に見つけた源融公之旧跡
源融とは・・・
嵯峨天皇の12男
官位は侍従、右衛門督
大納言などを歴任し、従一位左大臣にいたる
紫式部『源氏物語』の主人公光源氏の実在モデルの一人
次は太融寺 本堂 へ
の次に訪れたのは
大阪市北区太融寺町3-7にあります太融寺
中に入る前に見つけた源融公之旧跡
源融とは・・・
嵯峨天皇の12男
官位は侍従、右衛門督
大納言などを歴任し、従一位左大臣にいたる
紫式部『源氏物語』の主人公光源氏の実在モデルの一人
次は太融寺 本堂 へ
大石内蔵助良雄實父権内良昭墓
お初天神 難波(夕日)神明社
の次に訪れたのは
大阪市北区兎我野町8-17 曽根崎警察署 兎我野町連絡交番
の近くにあります
大石内蔵助良雄實父権内良昭
大石瀬左衛門信清實父八郎兵衛墓
大石 良雄
通称 内蔵助
播磨国赤穂藩の筆頭家老
元禄赤穂事件で名を上げ これを題材とした忠臣蔵で有名になった
大石 信清
通称 瀬左衛門
赤穂浪士四十七士の一人
赤穂藩では馬廻役150石
次は太融寺 源融公之旧跡 へ
の次に訪れたのは
大阪市北区兎我野町8-17 曽根崎警察署 兎我野町連絡交番
の近くにあります
大石内蔵助良雄實父権内良昭
大石瀬左衛門信清實父八郎兵衛墓
大石 良雄
通称 内蔵助
播磨国赤穂藩の筆頭家老
元禄赤穂事件で名を上げ これを題材とした忠臣蔵で有名になった
大石 信清
通称 瀬左衛門
赤穂浪士四十七士の一人
赤穂藩では馬廻役150石
次は太融寺 源融公之旧跡 へ
お初天神 難波(夕日)神明社
お初天神 水天宮 金刀比羅宮
の次も
大阪市北区曽根崎2-5-4にあります露天神社 内を散策
次は 難波(夕日)神明社
うん? 夕日
朝日神明社 に書かれていた夕日はココにあったのかぁ
ココに書かれていたことは 社殿が西向きでありしをもって
「夕日ノ神明社」とも通称されたこの神社は
平安時代初期 弘仁12年 (821年)2月 嵯峨天皇の皇子
河原左大臣 源 融公が 葦草茂る中州 (現在の曽根崎1丁目付近)
に皇大神宮を祀られたのが始めと伝えられている
往時はこの地を 「大神宮の北の洲」 または 「神明の鼻」と称し
一帯をもって境内地としていた
付近(現・西天満3丁目)の旧町名 「伊勢町」の起源と言われる
文治年間(1185~1189年)には 「源 義経公」より 願書と共に寄付物が
奉納されたと伝え 後醍醐天皇の御代には勅願所となり
度々行幸の栄を受け 江戸期に至りては 大阪城代および
両町奉行の参拝社となり境内も広大であった
とのことです
残るは日中のみ どこにあるんだろう?
次は 大石内蔵助良雄實父権内良昭墓 へ
大阪市北区曽根崎2-5-4にあります露天神社 内を散策
次は 難波(夕日)神明社
うん? 夕日
朝日神明社 に書かれていた夕日はココにあったのかぁ
ココに書かれていたことは 社殿が西向きでありしをもって
「夕日ノ神明社」とも通称されたこの神社は
平安時代初期 弘仁12年 (821年)2月 嵯峨天皇の皇子
河原左大臣 源 融公が 葦草茂る中州 (現在の曽根崎1丁目付近)
に皇大神宮を祀られたのが始めと伝えられている
往時はこの地を 「大神宮の北の洲」 または 「神明の鼻」と称し
一帯をもって境内地としていた
付近(現・西天満3丁目)の旧町名 「伊勢町」の起源と言われる
文治年間(1185~1189年)には 「源 義経公」より 願書と共に寄付物が
奉納されたと伝え 後醍醐天皇の御代には勅願所となり
度々行幸の栄を受け 江戸期に至りては 大阪城代および
両町奉行の参拝社となり境内も広大であった
とのことです
残るは日中のみ どこにあるんだろう?
次は 大石内蔵助良雄實父権内良昭墓 へ
お初天神 水天宮 金刀比羅宮
都橋之遺趾
に続いて
大阪市北区曽根崎2-5-4にあります
露天神社 内を散策
次は 水天宮 金刀比羅宮
水天宮 金刀比羅宮 縁起
当社は之より二十一年以前に祀られたり
何か言い回しが難しいけど歴史を感じます
次はお初天神 難波(夕日)神明社 へ
大阪市北区曽根崎2-5-4にあります
露天神社 内を散策
次は 水天宮 金刀比羅宮
水天宮 金刀比羅宮 縁起
当 水天宮は寛政九年六月 大阪 中之島 久留米藩蔵屋敷内に祀られ
藩主 有馬公殊に尊崇し給いしものなり
明治維新に際し 蔵屋敷は朝廷に返上せられ
御神霊は丸亀藩蔵屋敷の金刀比羅宮に合祀せられしが
丸亀藩蔵屋敷も上地となり 共に高松藩蔵屋敷の金刀比羅宮に遷し奉り
後、堂島中二丁目に遷座せらる
明治四十二年「北の大火」の際 該社も被災し
当地に露天神社の境内社として斎祀せらるに至る
明治天皇御降誕の砌 孝明天皇其の御安産を御祈誓あそばされ
無事御降誕の後 当水天宮(久留米藩蔵屋敷内)へ
鳥の子餅を御奉納ありしと伝える
当社は之より二十一年以前に祀られたり
何か言い回しが難しいけど歴史を感じます
次はお初天神 難波(夕日)神明社 へ
都橋之遺趾
お初天神 玉津稲荷
に続いて
大阪市北区曽根崎2-5-4にあります
露天神社 内を散策
お初天神 玉津稲荷
さんの横手に 都橋之遺趾 というのを見つけました
2つ目の文字が見えなかったのでこんな感じかなぁ
何だろう?
次はお初天神 水天宮 金刀比羅宮 へ
大阪市北区曽根崎2-5-4にあります
露天神社 内を散策
お初天神 玉津稲荷
さんの横手に 都橋之遺趾 というのを見つけました
2つ目の文字が見えなかったのでこんな感じかなぁ
何だろう?
次はお初天神 水天宮 金刀比羅宮 へ
お初天神 玉津稲荷
お初天神 御井社・祓戸社の次も
大阪市北区曽根崎2-5-4にあります露天神社内を散策
牛さん発見!

曽根崎心中 お初徳兵衛ゆかりの地を見た後
(これがメインのはずですが・・・)
鳥居のほうへ向かいます

お初天神 玉津稲荷

その奥にはお稲荷さんが・・・・

来たからには参拝です
次は都橋之遺趾へ
大阪市北区曽根崎2-5-4にあります露天神社内を散策
牛さん発見!

曽根崎心中 お初徳兵衛ゆかりの地を見た後
(これがメインのはずですが・・・)
鳥居のほうへ向かいます

お初天神 玉津稲荷

その奥にはお稲荷さんが・・・・

来たからには参拝です
次は都橋之遺趾へ
お初天神 御井社・祓戸社
天満宮道標
の次は 陸橋へ
国道ビルを発見
国道だけに国道ビルなのかなぁ~
さて目的地の
大阪市北区曽根崎2-5-4にあります露天神社
に到着
何度も来ている お初天神ですが
今回は 御井社・祓戸社 を見てきました
浪速七名水 神泉 露の井 と書かれている場所
ココに書かれていたことは
社殿直下の御井は 往時四天王寺の亀の井 清水寺の井 二つ井戸等と共に
「浪速七名水」の一つなりと称され
梅雨時期には清水が井戸縁より流出せし という
名井「露ノ井」として当社社名の由来の一つともいわれ周辺地域を始め
社地前旧池田街道を行き通う人々の貴重な清水であった
現在では、地下鉄各線や高層ビル群の建設等により
地下水線が分断され水位が著しく低下している
七つ調べなくては・・・・
次はお初天神 玉津稲荷 へ
国道ビルを発見
国道だけに国道ビルなのかなぁ~
さて目的地の
大阪市北区曽根崎2-5-4にあります露天神社
に到着
何度も来ている お初天神ですが
今回は 御井社・祓戸社 を見てきました
浪速七名水 神泉 露の井 と書かれている場所
ココに書かれていたことは
社殿直下の御井は 往時四天王寺の亀の井 清水寺の井 二つ井戸等と共に
「浪速七名水」の一つなりと称され
梅雨時期には清水が井戸縁より流出せし という
名井「露ノ井」として当社社名の由来の一つともいわれ周辺地域を始め
社地前旧池田街道を行き通う人々の貴重な清水であった
現在では、地下鉄各線や高層ビル群の建設等により
地下水線が分断され水位が著しく低下している
七つ調べなくては・・・・
次はお初天神 玉津稲荷 へ
