市忍第一小学校桟顕彰碑
三社神社 皇紀2600年祭記念碑
の次も
大阪市港区磯路2-18-23にあります三社神社
こちらで見つけました
市忍第一小学校桟顕彰碑
ココに書かれていたことは
本校は明治8年に創立され
昭和20年の戦禍により焼失し廃校となった
その跡地はここより北西約千米弁天阜頭の附近にあり
市岡における小学校教育発祥の地である
ここに往来の校章に因み櫻樹を境内に奉納し
市一櫻と称して記念とした
次は三社神社 奉祀大海神社 へ
大阪市港区磯路2-18-23にあります三社神社
こちらで見つけました
市忍第一小学校桟顕彰碑
ココに書かれていたことは
本校は明治8年に創立され
昭和20年の戦禍により焼失し廃校となった
その跡地はここより北西約千米弁天阜頭の附近にあり
市岡における小学校教育発祥の地である
ここに往来の校章に因み櫻樹を境内に奉納し
市一櫻と称して記念とした
次は三社神社 奉祀大海神社 へ
三社神社 本殿
港区 旧町名継承碑 吾妻町1~3丁目
の次に訪れたのは
大阪市港区磯路2-18-23にあります
三社神社
鳥居をくぐると
内清浄 外清浄が見えてきます
内清浄とは心(精神)の持ち方についての清浄であり
外清浄とは形(身体)の持ち方についての清浄である
ということなんだって
こちらが本殿です
こちらは大きいので散策しがいがありそうです
次は
三社神社 皇紀2600年祭記念碑 へ
の次に訪れたのは
大阪市港区磯路2-18-23にあります
三社神社
鳥居をくぐると
内清浄 外清浄が見えてきます
内清浄とは心(精神)の持ち方についての清浄であり
外清浄とは形(身体)の持ち方についての清浄である
ということなんだって
こちらが本殿です
こちらは大きいので散策しがいがありそうです
次は
三社神社 皇紀2600年祭記念碑 へ
□ 港区 旧町名継承碑 吾妻町1~3丁目
波除山跡
の後に訪れたのは
大阪市港区磯路2-17
にあります
磯路中央公園

昭和45年に開園した公園で
運動場もあって大きいです
そこで見つけた
港区 旧町名継承碑 吾妻町1~3丁目

町名は佳名であるとされているそうです
石田1丁目・磯路2丁目・弁天2~5丁目の各一部だそうですよ
より大きな地図で まっつんの旧町名継承碑訪問マップ を表示
次は 三社神社 本殿へ
波除山跡
港区 旧町名継承碑 千代見町1~4丁目
の次も
大阪市港区弁天5-12にあります弁天東公園
そこで見つけました 波除山跡
波除山は貞享元年(1684年)
河村瑞賢が安治川を開いたとき搬出された土砂が丘となり
のち松が植えられ 瑞賢山あるいは波除山の名で親しまれた
と書かれてありました
次は港区 旧町名継承碑 吾妻町1~3丁目 へ
大阪市港区弁天5-12にあります弁天東公園
そこで見つけました 波除山跡
波除山は貞享元年(1684年)
河村瑞賢が安治川を開いたとき搬出された土砂が丘となり
のち松が植えられ 瑞賢山あるいは波除山の名で親しまれた
と書かれてありました
次は港区 旧町名継承碑 吾妻町1~3丁目 へ
□ 港区 旧町名継承碑 千代見町1~4丁目
市岡新田会所跡
の次に訪れたのは
大阪市港区弁天5-12
にあります
弁天東公園

そこで見つけました
港区 旧町名継承碑 千代見町1~4丁目

詳細は不明であるが当町にかつて波除山 瑞賢山があり
遠望出来たことから千代に(永遠に)望見できることを願って
付けたものと思われる
現在の磯路1丁目 弁天1 4~6丁目の各一部だそうですよ
より大きな地図で まっつんの旧町名継承碑訪問マップ を表示
次は波除山跡へ
市岡新田会所跡
安治川水門
の次に訪れたのは
大阪市港区波除5-5にあります 波除公園
港区 旧町名継承碑 弁天町1~5丁目
のあるところですね
今回見つけたのは市岡神殿会所跡
元禄年間 市岡与左衛門によって開発され
寛延2年(1749年)以後 辰巳屋によって増墾された
大阪沿岸新田中最大のものである
と書かれてありました
次は
港区 旧町名継承碑 千代見町1~4丁目 へ
大阪市港区波除5-5にあります 波除公園
港区 旧町名継承碑 弁天町1~5丁目
のあるところですね
今回見つけたのは市岡神殿会所跡
元禄年間 市岡与左衛門によって開発され
寛延2年(1749年)以後 辰巳屋によって増墾された
大阪沿岸新田中最大のものである
と書かれてありました
次は
港区 旧町名継承碑 千代見町1~4丁目 へ
八州軒の跡
春日出南北向延命地蔵尊
の次に訪れたのは同じく
大阪市此花区春日出南1-2-33春日出公園
その中にあります八州軒の跡
案内板がありました
そこに書かれてあったのは
元禄11年(1698年)から 15年(1702年)にかけて
大阪湾を開発して造られた春日出新田の会所は
八州軒として著名である
会所の建物創建は この土地が享保7年(1722年)に
泉州堺の長者・倉野家の所有となった時のことである
会所の掛屋敷は その2Fより
淡路・紀伊・大和・河内・和泉・播磨・山城・摂津の八州の
風光が眺望できることで八州軒と呼ばれた
倉野家は井原西鶴 の 「日本永代蔵」 にも登場する豪商であったが
世相の波にもまれ 天保10年(1839年)に 会所は豊島屋・清海氏の所有となった
また八州軒の建物は大正4年(1915年)に横浜の三渓園に移築され
臨春閣の名で現存する
次は安治川水門 へ
の次に訪れたのは同じく
大阪市此花区春日出南1-2-33春日出公園
その中にあります八州軒の跡
案内板がありました
そこに書かれてあったのは
元禄11年(1698年)から 15年(1702年)にかけて
大阪湾を開発して造られた春日出新田の会所は
八州軒として著名である
会所の建物創建は この土地が享保7年(1722年)に
泉州堺の長者・倉野家の所有となった時のことである
会所の掛屋敷は その2Fより
淡路・紀伊・大和・河内・和泉・播磨・山城・摂津の八州の
風光が眺望できることで八州軒と呼ばれた
倉野家は井原西鶴 の 「日本永代蔵」 にも登場する豪商であったが
世相の波にもまれ 天保10年(1839年)に 会所は豊島屋・清海氏の所有となった
また八州軒の建物は大正4年(1915年)に横浜の三渓園に移築され
臨春閣の名で現存する
次は安治川水門 へ




