E-smile まっつんの日常 -1600ページ目

□ 寺井戸

麟角堂創建遺址碑
の次に訪れたのは
寺井戸

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

天保14年葵卯閏9月造之 と書いているようです

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資料にはこう書かれてありました

溜井戸
久宝寺御坊が 顕証寺新田の旧大和川底に
元井戸を構え 竹樋を埋めて ここに引水し
村民の飲料水をまかなった

村では 水代として1軒あたり年1升宛の米を御坊に納めた
古くは屋形をくみ 夜には錠がかけれられていた

大正12年簡易水道が設けられるまで
村内唯一の上水であった

次はツイ茨木 オフ会 昼の部

□ 麟角堂創建遺址碑

念沸寺 観音院
の次に訪れたのは
八尾市久宝寺2-2
あたりにあります
麟角堂創建遺址碑

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資料にはこう書かれてありました

戦国時代 久宝寺城主 渋川 満貞の創建と言われ
堀川屋敷に学者を招き 講筵を設けたことに始まる

天正3年(1575年) 安井 定重 これを復興し
堺の学者 今村 道和を招いて 孔子像をまつり
漢籍の講義があった

江戸時代には 伊藤 仁斎や東 涯も招かれ講筵を開いた

大正2年 安田 覚三郎 再び復興し
西村 天囚を招いて開講

同11年には私立学舎の認可を受けて
漢字の講義を開いたこともあった

次は 寺井戸

□ 念沸寺 観音院 

引き続き 念沸寺

次は 観音院

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中をのぞきましたが
見えませんでした

かわりに近くにあった 案内板を読んでみます

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久宝寺と観音さん

久宝寺と云うお寺は 昔 聖徳太子が
物部守屋誅戮の祈願所として建立された
46仏閣中の22番目の寺で 許麻神社 付近にあり
7大伽藍の大寺であったと伝えられています

その 久宝寺が 松永 弾正の兵乱や慶長の兵火に罹り
再びそこに立ちませんでした

久宝寺が戦災で灰になる時
11面観音像を寺僧が助け出し
背負って伊賀の国へ落ちていき
伊賀の下津から 伊賀・近江の国々を流転されるうち
ある時 彼の地に旅する河内から来た旅人の夢まくらに立たれ
「河州久宝寺は我が里なり」 とお告げになったと伝えられています

時代が過ぎて やがて 何とか久宝寺村へお迎えし
許麻神社 の境内に小堂が建てられました
これが久宝寺観音院です

しかし 明治になり 神仏分離令によって
久宝寺観音院は遂に廃寺の運命をたどりました

またもや観音像は 布施高井田の長栄寺に預けられ
久宝寺村から観音様の預け賃を
年貢米として長栄寺に支払われたと云います

このように 放浪ばかりを続けていた観音様ですが
明治も末の頃 村に流行病が出た時
再び観音様の夢を見る人がたくさん現れて
是非とも村でお祀りしなければならないということになり

明治42年2月23日に 昔の久宝寺の末院と伝えられる
当 念沸寺へお迎えして 今日に至っています

久宝寺村の名前の発祥のもととなる 久宝寺のご本尊
11面観音菩薩です
久宝寺のシンボルです

次は麟角堂創建遺址碑

□ 念沸寺

高田家住宅
の次に訪れたのは
八尾市久宝寺3-4
にあります
念沸寺

安井 道頓 道ト 出生地碑 のあった
寺内町ふれあい館の前です

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本堂です

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案内板にはこう書かれてありました

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当寺は龍興山 金剛乗院 念沸寺と云い
融通 念仏宗に属します

暦応4年(1341年) 辛己8月 盤龍上人によって創建されました

本堂落慶に融通念仏宗の中興上人 法明和尚の霊跡があり
宗門きっての古刹です

もと この寺院は聖徳太子の建立した久宝寺の末院で
念沸勧進聖堂場として栄えていたのをのち
聖僧の盤龍が今の地域に定めて本堂を建てたと伝えられています

聖徳太子作と伝わる 11面観世音菩薩・不動尊もお祀りしています
また 河内西国霊場 第2番札所でもあります

次は念沸寺 観音院

□ 高田家住宅

浅野家住宅
を後にして
テクテク歩く

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到着したのは
八尾市久宝寺5-2-26
にあります
高田家住宅

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文化庁指定 国の登録有形文化財指定
第27-0449~0450号に登録されています~

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案内板にはこう書かれてありました

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

国登録有形文化財 高田家住宅 主屋・米蔵

高田家は 江戸時代には油屋と号し
久宝寺村の庄屋を務めてきたため
村に関する貴重な文面等が多数伝わっています

顕証寺に通じる東西の通りに面する主屋は
屋敷構えを出格子と虫籠窓で整え
瓦葺きの米蔵は屋敷の東側に建てられています

本住宅の周囲は碁盤目状の町割りがみられ
寺内町の歴史的な景観を残す貴重な建物であることから
平成20年3月に主屋と米蔵が国登録有形文化財となりました

次は念沸寺

□ 浅野家住宅

式内社 許麻神社
の次に訪れたのは
八尾市久宝寺5-4-76
にあります
浅野家住宅

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文化庁指定 国の登録有形文化財指定
第27-0304~0308号に登録されています~

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案内板には
こう書かれてありました

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国登録有形文化財 浅野家住宅

平成16年 11月に 主屋・乾蔵・巽蔵・東納屋・南納屋が
国登録有形文化財になりました

主屋は 嘉永元年の祈祷札が発見され
乾蔵とともに 江戸時代末期の建築です

当時の建築様式を良く保っており
久宝寺寺内町で最も古い町屋の1つとして
貴重なものです

また 5棟の建造物全体が
寺内町の屋敷景観を良く残しています

次は高田家住宅

□ 式内社 許麻神社

許麻橋地蔵
の次に訪れたのは
八尾市久宝寺5-4-8
許麻神社

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鳥居をくぐって進んでいきます

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夏越大祓
茅の輪

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拝殿です

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案内板にはこう書かれてありました

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式内社でもと 牛頭天王と称され
渋川六座の一である

この地は古く巨麻荘といい
河内国諸春の大狛連の住地で
その祖神をまつったと伝えられる

境内の手洗いの屋形は
むかし宮寺久宝寺観音院の鐘楼の名残である

この寺は聖徳太子の建立で
戦国時代に兵火に逢って消失した

その後 観音院のみ復興したが
明治初年 廃寺となった

本尊11面観音はいま念沸寺にある

神社の西方に むかし弥生式土器を埋蔵した
ベントウ山があった

次は浅野家住宅

□ 許麻橋地蔵

顕証寺 親鸞聖人像
の次に訪れたのは
八尾市久宝寺5-4-8
式内社 許麻神社 の近くにあります
許麻橋地蔵

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

案内板にはこう書かれてありました

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

許麻神社 鳥居前の辻堂内にある
この地蔵は 亡父の追善供養のために
造顕されたもので 像の左右に次の銘文がある

為景 "慧" 禅定門追善

天文 廿一壬子 4月 日孝子敬白

いまは安産地蔵といわれている

像は中央部で折損しているが後世つぎ固められている

材質は花崗岩で 高さ62cmである
次は 式内社 許麻神社

□ 顕証寺 親鸞聖人像

蓮如上人像
に引き続き
八尾市久宝寺4-4-3
にあります
浄土真宗本願寺派 顕証寺

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親鸞聖人と書いていますね

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どんな人か・・・・

鎌倉時代初期の日本の僧である
浄土真宗の宗祖とされる

次は許麻橋地蔵

□ 顕証寺 蓮如上人像

引き続き
八尾市久宝寺4-4-3
にあります
浄土真宗本願寺派 顕証寺

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

蓮如上人 と書かれています

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どのような人か・・・

室町時代の浄土真宗の僧
本願寺第8世
本願寺中興の祖

親鸞の直系とはいえ
蓮如が生まれた時の本願寺は
青蓮院の末寺に過ぎなかった
他宗や浄土真宗他派、特に佛光寺教団の興隆に対し
衰退の極みにあった
その本願寺を再興し
現在の本願寺教団(本願寺派・大谷派)の礎を築いた


次は顕証寺 親鸞聖人像