E-smile まっつんの日常 -1522ページ目

□ 天照皇太神宮

東鳴尾皇太神社 稲荷神社
の次に訪れたのは
西宮市上田中町3
にあります
天照皇太神宮

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鳥居です

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境内へ

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またも鳥居があって

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社殿です

特に案内板なかったので
よく分からなかったり(笑)

公園の中にあったのでちょっと見つけにくかった

次は猿田彦社 稲荷社 天玉明社

□ 東鳴尾皇太神社 稲荷神社

引き続き
西宮市東鳴尾町2-14-13
にあります
東鳴尾皇太神社  境内

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赤い鳥居を発見

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お社です

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でも何処にも狐さんがいなかったように思います

次は天照皇太神宮

□ 東鳴尾皇太神社

恵美須宮
の次に訪れたのは
西宮市東鳴尾町2-14-13
にあります
東鳴尾皇太神社

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社殿はこんな感じ

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

案内板にはこう書かれてありました

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

カタカナ表記だけど平仮名になおしてみました

当神社は関係文書亡失致し創立の年代等を詳にせざるも
古老の傅に依り元禄4年3月 (1691年) の創建と傅ふ
即ち 徳川 綱吉公が当地の領主に命じて推進せしものと言う

後当村民等代々之を鎮祭し当地の守護神とせり然して
寛政11年9月 (1799年) 再建す

次は東鳴尾皇太神社 稲荷神社

□ 恵美須宮

白山大神
に引き続き
西宮市小松南町2-2-8
にあります
縣社 延喜式内岡太神社

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次は 恵美須宮

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お社はこんな感じです

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中を少し覗いてみました

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案内板にはこう書かれてありました

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西宮神社に御鎮座の恵比須大神は
武庫の沖から御来臨になり最初
鳴尾でお祀りしていたとの口碑かあります

小松では その大神が毎年正月9日の夕に押照営(岡太神社)で
高潮や洪水等の災害を未然に静止(防止)して
五穀豊穣をもたらす猪(静止)打神事をされると伝えられ
この神事の妨げにならぬよう斎籠をする風習がありました

これは静止を猪にかけたもので、
「猪」は大神の伎使わしめと云われています
当社では摂社に大神をお祀りし昔語を後せに伝えるよすがとして
彫刻家柏木秀峰作の静止像(亥)を安置しています

次は東鳴尾皇太神社

□ 白山大神

伝 小松内府 平重盛郷 供養塔
に引き続き
西宮市小松南町2-2-8
にあります
縣社 延喜式内岡太神社

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

次は 白山大神

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

案内板にはこう書かれてありました

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

天正10年 (1582年) 反逆者・明智 光秀の武将・
四方天丹馬守は 備中の先陣より急遽引返した秀吉は
三軒屋で乱戦して組み敷き くわえた刀で討とうとしたが
不覚にも 歯が欠けて 刀でとり落し
後を追ってきた 加藤 清正に誅されました

丹馬守は無念で これからは歯の悪い人を治してやろうと
言い残したとの風説があります

この話は 白山大神と丹馬守との付会です
白山大神は和と結び・禳災の神ですが
当地は白山さん はくさ (歯瘡) さんと転訛し
北向きの歯神さんとして周知されています

次は恵美須宮

□ 伝 小松内府 平重盛郷 供養塔

岡太社の石標
に引き続き
西宮市小松南町2-2-8
にあります
縣社 延喜式内岡太神社

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次は 伝 小松内府 平 重盛郷 供養塔

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

どんな人であったのか?

wikipedia  より

平 重盛は平安時代末期の武将・公卿
平清盛の嫡男
保元・平治の乱で若き武将として父清盛を助けて
相次いで戦功を上げ父の立身とともに累進し
最終的には左近衛大将 正二位内大臣にまで出世した

嫡男ではあったが継室の時子の子である宗盛や
徳子とは母が異なり有力な外戚の庇護はなく
室が藤原成親の妹・経子であったため
成親失脚後は一門のなかでは孤立気味であった

政治的には平氏一門の中で最も後白河法皇に近い立場にあった
清盛の後継者として期待されながらも
清盛と後白河法皇の対立では有効な対策をとることができないまま
父に先立ち病没した

次は白山大神

□ 岡太社の石標

引き続き
西宮市小松南町2-2-8
にあります
縣社 延喜式内岡太神社

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

次は岡太社の石標

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

案内板にはこう書かれてありました

この碑は 江戸中期の碩儒並河誠所が有志と
社殿の廃滅や祭神の由緒などの誤り伝えられていた
延喜式所載の摂津国の古社20社につき踏査考定して
正しい社名を明らかにするため
時の寺社奉行大岡越前守忠相に上申し
元文元年(1736年)から翌年にかけて建立した
碑石の一つです
表面に神名帳に記載の社名
側面に村名
裏面台石に同志菅広房(山口伊兵衛)
の名が刻されています

次は伝 小松内府 平重盛郷 供養塔

□ 縣社 延喜式内岡太神社

元浜八幡神社
の次に訪れたのは
西宮市小松南町2-2-8
にあります
縣社 延喜式内岡太神社

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境内へ入っていきます

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鳥居前です

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これは猪?
左側

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右側です

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階段そばには狛犬が

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こちらが社殿です

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中を少し覗いてみました

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入り口近くにあった案内板にはこう書かれてありました

伝に曰く宇多天皇寛平5年(853年)
武庫郡広田の人岡司氏此地を開発して浜村といい
延喜元年天御中主神を主神に広田の大神5柱を末社として
共に鎮座せしを起源とし由って岡司美也と称す

合祀神5柱は 元上の宮と称して
本社の北に当たる人家の間にありしを明治5年合祀せるなり

明治6年8月村社に列し 同12年4月県社となる
吾妻鏡建久3年の条に武庫御厨小松庄と記せるは此地なるべし
境内に小松内大臣平重盛の供養塔を保存す

次は岡太社の石標

□ CONTROL #11 最後の真実…心が解ければ事件が解ける

CONTROL #10 コントロールされた誘拐事件
に引き続き第11話

ついに最終回
疑わしきは身近な人
ドラマとはそういうものですね

信じる道を行動する
すばらしいです

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ドラマ感想一覧
フジテレビドラマ CONTROL~犯罪心理捜査~

□ 元浜八幡神社

愛宕社
の次に訪れたのは
尼崎市元浜町4-37
にあります
元浜八幡神社

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鳥居です

E-smile 大阪・街・遊歩人 まっつんの日常

拝殿前

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すごくいっぱい狛犬がいてちょっと怖かった

大正3年に隣村の西素盞嗚神社 に合祀されたが
氏子崇敬者の篤い要望で昭和24年のもとの鎮座地に奉斎された
昭和35年には又兵衛新田開発時の大浜新田に祀られていた
大浜八幡神社を合祀した

次は縣社 延喜式内岡太神社