□ 判官松伝承地碑
西島住吉神社
の次に訪れたのは
大阪市西淀川区大野2-4-111
にあります
大野下水処理場
その前にあります
判官松伝承地碑
案内板にはこう書かれてありました
源平の戦いのあった1185年(元暦2年) 2月16日に
平家追討のために大物の浦(尼崎市)から
屋島に向けて軍船を出した九郎判官義経(源義経)が
折からの突風のために大和田の浦
(西淀川区大和田)に漂着しました
そこで当地の住吉大明神(大和田住吉神社)に
海上安全を祈願し 再度軍容をたてなおして
18日未明に順風を利用して四国に向かいました
このときの由縁の松を判官松といい
義経の腰掛松とも手植の松とも呼ばれて伝えられています
その後 判官松は樹容壮麗となり 西摂の名勝として
遠近に知られるだけでなく
淀川尻の指標として舟人の親しむところとなりましたが
惜しいことに明治10年の落雷によって
消失してしまいました
次は姫嶋神社 へ
の次に訪れたのは
大阪市西淀川区大野2-4-111
にあります
大野下水処理場
その前にあります
判官松伝承地碑
案内板にはこう書かれてありました
源平の戦いのあった1185年(元暦2年) 2月16日に
平家追討のために大物の浦(尼崎市)から
屋島に向けて軍船を出した九郎判官義経(源義経)が
折からの突風のために大和田の浦
(西淀川区大和田)に漂着しました
そこで当地の住吉大明神(大和田住吉神社)に
海上安全を祈願し 再度軍容をたてなおして
18日未明に順風を利用して四国に向かいました
このときの由縁の松を判官松といい
義経の腰掛松とも手植の松とも呼ばれて伝えられています
その後 判官松は樹容壮麗となり 西摂の名勝として
遠近に知られるだけでなく
淀川尻の指標として舟人の親しむところとなりましたが
惜しいことに明治10年の落雷によって
消失してしまいました
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