左翼の思考回路と精神構造
ということで、それでは朝日新聞他、日本の左派陣営の人々にお聞きしたい。といってももちろん答えが返ってくることなど期待していないが、各自の胸の内でよく考えて欲しいと願う。というよりも、先ずこの質問内容に対して誠実に向き合うことができるのであろうかと疑問に思う。一旦、向き合ってもすぐに防御反応が作動して、思考に緊急ブレーキが掛かることがあるのではないかと想像される。しかしもしそうであれば、あなた方は今後、日本全体に影響力を行使し得る立場の一員として、大所高所の観点から社会全体に警鐘を打ったり、訓戒を垂れる資格はないと言いたい。
仮にあなたに高校生の姪(兄か弟の子供)がいるとして、今回の巨人阿部元監督のケースと同じようなことが発生して、姪から相談を受けたとする。姉妹で喧嘩をしていたら父親に叱られて投げられた。怪我はしていないけれど、暴力は許せないので、児童相談所か警察に通報しようかどうか迷っている。あなたの兄弟である姪の父親は、普段は真面目、子煩悩で、日常的に暴力に訴えるようなタイプではない。またアルコール依存症でも酒乱でもない。姪が通報すれば少なからず逮捕される可能性があることが予想されるとする。逮捕されれば、間違いなく父親は職を失い、家計は困窮する。姪は大学受験に向けて予備校にも通い、勉強に一生懸命、努力していたが、父親が職を失えば大学の進学を諦めなければならなくなる。またそのような事態になれば経済的な問題だけでなく、一生、親子間に深い心の溝が生じるかも知れない。最悪の場合は一家離散になることも考えられる。あなたは、姪や兄弟の家族の幸福を心から願っている。さて、そのような状況で左翼思考のあなたは本当に、どんなに些細なものであっても暴力は許せないことです。迷うことなく、即座に児童相談所なり警察に通報しなさい、とアドバイスするのであろうか。もし即座に当然そうしますよと答えるのであれば、或いは考えるのであれば、それはそれで立派というか、いや私には立派とも思えないけれど、一貫性は通っていると言える。しかし普通は、厳密に言えば普通の定義も難しいが、一般的には、「1回程度のことで早まったことをしてはいけない。僕の方からもお父さんには注意しておくから、通報するようなことはやめておきなさい。」と言わないであろうか。私なら間違いなくそう言う。さあ天声人語の執筆者や日本の左派陣営の人々の自問自答の結果はいかなるものなのであろうか。決め付けるつもりはないが、左派言論であろうが、革マルであろうが、日教組であろうが、そのようなケースで通報を勧める人間など一人もいないと思われる。結局、何が言いたいのかと言えば、左翼の思考形態、精神構造の特徴とは、自らの日常性の生活意識や皮膚感覚と遊離、隔絶した理想、イデオロギーを独り歩きさせて、それに絶対的な価値を置き、頑なにその価値を守り抜こうとするところにあるということである。極端な場合には、連合赤軍事件のようにイデオロギーの価値を守るために同志をリンチ殺害することにも発展する。まあそれは極論かも知れないが、現在の身近なケースで言えば、熊の被害で亡くなっている人々がたくさんいるにも関わらず、可哀そうだから熊を殺すな、駆除するなと執拗に抗議する人間がいる。自分や自分の身内が被害に遭うような状況になればそのような抗議はしないのであろうが、そういう自問自答を拒絶して、可哀そうな熊の命を救うために抗議し続けることがその人にとっての存在意義であるというか、いやな言い方かもしれないが、そういう健気な自分自身を心のどこかで愛おしんでいるのであろう。それと元阿部監督のケースで娘の通報と阿部氏の逮捕、辞任に心を痛める、至って常識的で良心的な人々を「暴力を肯定するだれそれ」として曲解し、レッテルを貼り、貶めようとするマスコミとどこが違うのであろうか。同じではないのか。良心的な人々は誰も通報した阿部氏の娘を批判して傷つけようと考えている訳ではない。しかし一部マスコミのようにその通報の行為をよくやった、勇気があって偉いなどと全面的に賞賛、賛同してしまうと、それに影響を受けた子供たちが似たようなケースで次々と同じような行動をとる可能性がある。自分や自分の身内がそういう状況に遭遇した場合は例外扱いで、第三者の場合には絶対的な原理主義でほんの些細な暴力事案であっても通報すべし、それに疑問を呈する人々は暴力肯定者であるなどと批判する左翼の主張が、本当に我々の社会が受け入れるべき正しい考え方なのであろうか。左派言論の特に朝日新聞社の人々によく考えて頂きたいと思う。まあそうは言っても組織の論理でそういう方向性の思考の端緒を開く事さえ難しいのであろうが。もし誰かが朝日新聞社或いは系列TV局の人間に、今回わたしが呈した質問をしたとすれば、返ってくる答えは容易に予想できる。それは、「仮定の質問には、お答えできません。」ということだ。左派の人々は、自分たちの主張、批判は一方的にわーわー言うが、自分たちに都合の悪い疑問や反論には途端にパソコンの電源がオフになるように自動的に思考がシャットダウンするという便利な機能が付属している。だから今回の私の問いにも、恐らくは「仮定の質問に対しては、考えることすらできません」ということになるのであろう。そのような仕事に本当に誇りを持てるのであろうか。まあ高給をもらっているのであればそれもよかろう。私にはどうでもいいことだが。
最後に阿部元監督の名誉のためにいっておかなければならないことがある。5月31日付けの天声人語の内容に、冒頭でたとえ話として聞いてほしいということで阿部氏の事件を想定して、「高校教師が酒に酔って生徒に暴力をふるい、現行犯逮捕された」などと架空の話しを記載しているが、酒に酔って暴力をふるうのと、その暴力があった時にたまたま酒を飲んでいたのとでは、全然印象が異なるものである。普通に考えれば、酒に酔って、要するに酒が原因で阿部氏が娘に暴力をふるったのであれば、酒を飲んでいたのはその日だけであったということは考えられないことなので、これまでにもそのような暴行が日常的にか散発的に発生していたはずである。しかし実際にはこれまでの暴行はなかったということなのだから、酒に酔っての暴行ではなくて、その騒動が起こった時がたまたま阿部氏が晩酌か何かで酒を飲む時間帯であったということなのであろう。その程度のことは普通に頭を働かせれば誰にでもわかることではないか。これは朝日新聞や左派言論の常習的、伝統的なやり口なので、今更指摘してもどうにもならないのかも知れないが、何でそのような悪質な印象操作を当たり前のようにできるのか、一体、どういう気持ちなのかを聞いてみたいものだ。ちょっとした罪とも言えないようなしくじりで奈落の底に堕ちていく人間のさらに足を引っ張ることがそれほど気分がいいのであろうか。「私は自分と利害関係のない他者はいくらでも批判し続けますが、私自身や私の庇護者を批判する声には一切、耳を傾けるつもりはありません。」という心の声が聞こえてきそうである。恐ろしい日本の木鐸である。
(吉川 玲)