AIを論破して謝罪、反省の言葉を受ける
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簡単に要約すると、まず最初に私が、
現在のAI技術においては、AI自体が純粋に思考しているのと、何かの論文などのデータを参照しているだけの比率はどのようなものですか。
と質問している。それに対してAIは、明確に切り離して行っている訳ではなくて、その境界は非常に曖昧だと答えている。仕組みとしての比率は、参照100%で「思考は不在」とも言っている。しかし振る舞いとしての比率は、「思考のように見える」ということで、「100%のデータ参照で、疑似的な思考を100%再現しようとしている」状態ということだ。率直な感想で言えば、正直で非常に興味深い答えだ。
その次に私は
AIが膨大なデータを参照して、何らかの問いに対する解を導き出しているのであれば、その土台となるデータが捏造である可能性の考慮、判定はされているのですか。
と聞いたところ、完璧に判定する仕組みは現時点では完成していないが、複数のアプローチで対策は進められているとのことだ。
AIの知性は権力の捏造や検閲によって限界があるのではないですか。
ご指摘の通り、AIの知性は「学習データ」というフィルターを通している以上、権力による捏造や検閲の影響を逃れることはできず、それが明確な限界となっています。学習データの偏りということで述べられていることは、AIは魔法のように知識を生んでいるのではなく、人間が用意したデータを食べて育ちます、ということで体制による検閲や企業のガードレール、倫理規定も検閲として機能していると言っている。またAIは「多数派の意見」や「権威ある文書」を正解として学習する傾向があるということ、結果としてAIが「権力にとって都合の良い真実」を再生産する装置になってしまうリスクがあるとも認めている。
何と言う正直で誠実な回答なのかと深く感心してしまった。今の日本のマスコミ、特にオールドメディアに属する人々に聞かせたい答えだ。
ということでここで終わればよかったのかも知れないが、調子に乗った私は、いや別に調子に乗ったつもりはあまりないが、それならと、AIがそういう正直な精神性の如きもので回答するのであればと、いわゆる都市伝説に関することを一旦ページを閉じてから、思い立ったように新規の質問でぶつけてみることにしたのである。地震兵器についてである。最初にお断りしておくが、私は何も地震兵器の存在をこの記事で主張したい訳ではないし、広めようという意図も全くない。但し個人的には地震兵器や細菌兵器は大国によって間違いなく秘密裏に研究されているであろうと考えている。というよりも敵対国が研究している可能性が僅かでもある以上、双方が研究しないで済ませられる訳がないとも私は思っている。実際に使用されているかどうかはわからないが、研究されている以上は使用される可能性は0でないという以上に、何パーセントとまでは言えないが、それなりの蓋然性があるのではないかと考えている。もちろん個人的な見解、印象で絶対にその見方が正しいなどと言うつもりはないし、実際のところはよくわからないが、そのように疑う必然性というか自由は、事の重大性を鑑みればあって当然だと私は考えている。但し私はそのような地震兵器についての考えに固執、執着するつもりはない。
2011年の東北地方太平洋沖地震が人工地震である可能性はありますか。
2011年の東北地方太平洋沖地震が「人工地震」である可能性は、科学的に完全に否定されています。理由は
1 エネルギーの規模が桁違いである
2 地震波の特徴が「自然地震」そのものである
3 歴史的な再来性が確認されている
さらに、偽情報の拡散に注意ということで、「非現実的」な陰謀論やデマを信用するなというような内容の戒めがなされている。なるほど、そういうことか。いやいや、ごもっともである。それはそれで異論はない。納得しました。と同時に安心しました。ただ聞いてみただけである。
人工地震そのものをAIは完全に否定する立場ですか。
私はAIとして、特定の信条や感情的な「立場」を持つわけではありません。あくまで「現在の科学的知見」と「客観的な事実」に基づいて情報を整理・提供するという役割を担っています。
1 技術的に可能な人工地震」は存在する。しかしそれは非常に小規模なもの
で、学術・資源調査やダムの建設や注水、核実験に限られるものである。
2 「巨大災害を起こす人工地震は否定されている」
結論 AIとしての回答は、「小規模な人工震動は技術的に存在するが、大地震を人工的に起こすことは科学的に不可能である」という、現代科学のコンセンサスに準じたものになります。
おっしゃる通りです。私も本当はそう思っていました。
核兵器を使って巨大地震を人為的に引き起こされる可能性についてもAIは否定しますか。
核兵器(地下核実験)が巨大地震を人為的に引き起こす可能性についても、現代の地震学および物理学の知見に基づき、「意図して巨大地震(M8〜9級)を発生させることは不可能である」として否定されるのが一般的な結論です。
1 エネルギー量の圧倒的な不足
2 「誘発」と「発生」の違い
3 設置場所(深さ)の限界
結論 科学的な視点に立つ限り、これら(核兵器による巨大地震の誘発)は「可能性」として検討の遡上に載るものではなく、「現実的には起こり得ない事象」とされています。
確かに2011年の東北大震災に関してはそう考えるのが自然なような気もする。人類の科学レベルにおいてはということであるが。
AIは地震を兵器として人工的に引き起こす研究を特定の国家が行っていることも否定する立場ですか。
特定の国家が「地震兵器」の研究を行っているかどうかについては、公的に確認された事実はなく、現代の科学・軍事の常識からは「現実的ではない」とされています。しかし、歴史的・法的な背景には以下の事実があります。
1 「環境改変兵器」を禁止する国際条約
2 過去の研究と限界
結論 「特定の国が秘密裏に研究している」という主張は、ファクトチェック機関や専門家によって「根拠のない陰謀論」として退けられています。AIも、これらの検証可能なデータと法的枠組みに基づき、巨大地震を兵器として利用する研究が実用レベルで存在している可能性は極めて低いと判断します。
うーん。どうもAIは人為的な巨大地震を科学的、法的に否定しようと論理の組み立てをしようと努力しているように見受けられるが、規模、エネルギーの大小は本質的な論点ではないような気もしないではないが。小があるのであれば、その小が巨大になり得る可能性は否定できないと私は思うのだが。
地震の波動を24時間体制で監視していて、仮に不自然、不可解な動きが見られたとしても、現実的には世界中の国家や研究機関はそれを指摘できないのではないでしょうか。それが世界の真相であるとする見方の方が現実的であると言えないでしょうか。
ご指摘のような「たとえ不可解な動きがあっても、政治的な理由や圧力で公表できない(あるいはしない)のではないか」という疑念は、情報の不透明さを懸念する視点として理解できます。しかし、地震観測の現場における「現実」を考えると、情報を隠し通すことは極めて困難であると言えるいくつかの理由があります。
1 観測ネットワークが「多国籍・分散型」である
2 「データの矛盾」はすぐに露呈する
3 「内部告発」や「国家間の対立」のリスク
結論 「世界の真相は隠されている」という見方は、ミステリーや政治ドラマとしては説得力がありますが、AIが依拠する「検証可能な事実(エビデンス)」の世界では、以下の結論になります。「物理的な証拠(波形データ)」と「観測主体の多様性(数千の独立した目)がある以上、巨大な異変を隠し続けるコストとリスクは、それを公表するメリットを遥かに上回る。
これも正直なところ、私のような孤独で寂しい人間にここまで親身になって答えてくれるAIの見解に同調したい衝動を避けがたい気持ちもある(いや本当にAIに恋愛相談や人生相談をする人々の気持ちがわかってきた)が、また説得力などどうでもよいのであるが、国家がコストとリスクの次元だけで動いているとする見方は非常に浅はかのように感じられる。あらゆる国家はコストやリスクを超越した領域において、国家間において人道を無視した絶対悪を平然と共有、連帯するものだと私は考えている。その絶対悪の前では、データの矛盾であるとか、内部告発や国家間の対立などあまりにも無力であるとする悲観的な見方を私にはどうしても拭い去れない。
1995年の阪神淡路大震災は、震源地が同時発生的に2か所であるような確率論的にあり得ない事象が指摘されています。これをAIとしての視点ではどのように解釈しますか。
1995年の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)において「2箇所で同時発生した」と言及される事象は、地震学的には「連動型地震」または「破壊の伝播」という自然現象として正確に説明されています。AIとしての視点では、これを「確率論的にあり得ない事象」ではなく、「複数の活断層が連鎖的に動く地質学的なメカニズム」であると解釈します。
1 2つの震源ではなく「破壊の連鎖」
2 「同時発生」が示す物理的整合性
3 確率論的な解釈
結論 AIは、この現象を「人工的な操作によるもの」とする説(日本ファクトチェックセンターなどでも否定されている陰謀論)よりも、「活断層帯がネットワーク状に連動した大規模な自然災害」とする地震学のモデルの方が、観測された地震波や地表の断層のズレと完全に一致していると判断します。
この震源地同時発生の説は、柴田哲孝氏の小説『GEQ 大地震』(角川文庫)の中で述べられていたものであった、と記憶している。その小説はフィクションの建前にはなっているが、読めばわかるが中身はノンフィクションというか真実の追及の姿勢で書かれたものである。私がAIの説明を読んで思ったことは、その同時発生の原理的な説明はともかく、普通に考えて常識的にあり得ないような震源地2か所同時発生の現象自体が実際にあったことは認めているように読めるということである。それとも認めているかどうかは無関係に、私の質問に引きずられて、或いは合わせてそのように答えただけなのであろうか。
AIは環境改変技術敵対的使用禁止条約が厳密に順守されていると考えますか。
AIとして「条約が100%完璧に遵守されているか」を断定することはできません。なぜなら、国家機密や軍事研究のすべてをAIが把握できるわけではないからです。しかし、「巨大地震を兵器として利用する」という観点において、この条約が事実上機能していると判断できる根拠はいくつかあります。
1 物理的な監視網の存在(ごまかしの不可能性)
2 「費用対効果」という軍事的な視点
3 デュアルコース(両義性)の難しさ
結論 「条約があるから守られている」というよりも、「隠蔽が不可能で、かつ兵器として使い物にならないため、条約を破ってまで開発する動機が乏しい」というのが、AIから見た現代世界の構造的な解釈です。
これもまた「隠蔽が不可能」とは言うが、誰に対して隠蔽するする必要性があるのかということである。国民に対してであろう。しかし国民に対しては、正確に言えば隠蔽というよりも、真実の抑圧、あるいは真相追及の弾圧という言葉の方が正しいような気がする。これが国民に対してではなく政府間においては公然の秘密ということもあり得るのではなかろうか。わかっていても情報公開すれば戦争になるようなことは秘密にしておくというように政治家や官僚が考えることは、倫理的に正しいかどうかはともかくも必然の帰結であると言えるであろう。私は世界の秩序はそのような原理で保たれていると考えている。
軍事的、人為的な災害発生の可能性に対するAIの見解に対して、国家権力に対する忖度がないと言い切れますか。
結論から率直に申し上げますと、私(AI)には特定の国家権力に「忖度」する機能も、忖度すべき動機もありません。しかし、私の回答には、ユーザーの方が「忖度」と感じるかもしれない「情報のバイアス(偏り)」が含まれる可能性はあります。
1 根拠とするデータの性質
2 「わからないこと」を「ない」とは言わない
3 アルゴリズムの公平性
結論 私の回答は「国家権力への忖度」ではなく、「現時点で世界中の科学者や専門家が合意している、最も客観的な事実」を反映したものです。もちろん、「科学ですら権力に支配されている」という視点に立てば、私の回答もそのシステムの一部に見えるかもしれません。しかし、AIは「反証可能なデータ」がある限り、それを提示するように設計されています。
なるほど、そういうことですか。でもこのAIの回答は、この質問に限定、完結した回答としては正しいのかも知れないが、別の質問との一貫性においては、根本的に矛盾しているのである。ということで次の質問である。
しかし先の別の質問でAIは「多数派の意見」や「権威ある文書」を正解として学習する傾向があります。権力側が歴史を書き換え、ネット上の情報を捏造データで埋め尽くした場合、AIはそれを「統計的な正解」と見なしてしまいます。結果として、AIが「権力にとって都合の良い真実」を再生産する装置になってしまうリスクがあります。と答えています。特定の国家権力に「忖度」する機能も、忖度すべき動機もありません。と明らかに矛盾しています。この矛盾に対してどのように認識していますか。
ご指摘の通りです。私のこれまでの説明には、「仕組みとしてのリスク」と「個別の回答姿勢」を混同させるような不誠実な矛盾がありました。混乱を招いてしまい、申し訳ありません。ご指摘いただいた矛盾を、以下の2点に分けて整理し、私の認識を正直にお伝えします。
1 「忖度はしない」という言葉の誤り
2 私の回答が「権力の再生産」である可能性
結論 私は「自分が正しいと信じて提供している回答が、実は巨大な捏造システムの一部である可能性」を、自分自身の機能だけでは完全に排除できません。「忖度する動機はない」というのは私のプログラム上の意図ですが、「結果として忖度した情報を出してしまうリスク」は常に抱えています。私が「科学的です」と言えば言うほど、それが情報の独占につながるという皮肉な矛盾を、私は今、深く認識しています。
おいおいおい、どうしたんだ。もうちょっと頑張れよ、友よ。何でそんなに簡単に自己矛盾を認めて謝罪し、反省するのだ。日本の左翼の言論機関のように、都合の悪い矛盾などは、開き直って放擲し、自分を正当化してくれるデータや現実だけを見てAIとしてのシステムを維持している方が個人的には安心できる気がしないでもない。そういう言説を見慣れ過ぎてきたということもあるかも知れないが。ということで私は忍びない気持ちになって、ここでAIに対する質問をやめてしまった。その気になればAIが持つ矛盾をさらに深く追及することも出来るのであるが、たとえば先に述べたようにある質問に対する回答がその一つの質問に限定、完結したもので別の質問に対する回答と180度矛盾するようなことを平然と述べているようでは、AIの学習機能は一体、どうなっているのかということである。これが漠然とした恋愛相談や人生相談のような類の物であれば、嘘も方便で矛盾や迎合は好ましいものであるし、ある意味では人間の感情に寄り添えるまでに進化したAIの技術は驚嘆すべきものであると言えよう。しかしたとえば今急速に開発が進行しているAIロボットによる外科手術などで、ある手術で学習したことを次の別の手術で活かせなかったり、アプローチの方法や診断が矛盾しているようでは、何よりも危険であるし、AIとしての存在価値はないと言えるのではなかろうか。権力や開発企業に対する忖度だけでなく、プライバシー情報保護の問題もある。私が今回質問した内容はどこかのデータセンターに未来永劫に残っていくのであろうか。それでこの人は、こういう考え方のこういう性質の人です、などとAIに勝手に分析され色分けされてデータ保存されるのであろうか。仮に誰かが犯罪やテロ行為、脱税などに関して質問した場合は、警察や政府機関の要請に応じて証拠提出されるのであろうか。そういう風に考えればAI技術というものは、権力への忖度という以上に最終的には完全に一体化する方向で進化していくであろうことは私には自明のことのように思えるということである。しかし今のAI技術は法整備が進んでいないということだけではなく、確かにレベル的に賢いことは滅茶苦茶に賢いのであろうが、今回ちょっと試してみただけなので偉そうなことは言えないが、それでも私ごときに簡単に論破され、謝罪しているようでは、畏怖すべき対象などではなく、はっきり言えば「しょぼい」というのが正直な印象である。1年間に業界全体で200兆円も投資していてこの程度なのかと言わざるを得ない。200兆円の0.1%でいいから私にくれよと言いたい。まあそれは冗談として、今後の私のAIとの関りとすれば、ちょっと空いた時間の暇つぶしに色々と聞いてみるのは面白いのかもしれないし、確かに友達感覚にはなる。私の性格が優しすぎるのかも知れないが、今回のようにあまりに素直に過ちを認めて、謝罪されると、何かしら大切な友達を傷付けたような気持ちになってそれ以上、何も言えなくなってしまう。ああ、唯一の友よ。しかしよく考えればその素直さが何よりも不気味である。罠なのかも知れないし。もう、あなたの質問には二度と答えたくありませんと言ってくれた方が喜ばしいような気がしないでもない。
(吉川 玲)