安全保障上の最大の障害は左派言論である | 龍のひげのブログ

安全保障上の最大の障害は左派言論である

誰かを、何かを批判することはさほど難しいことではない。しかし肝心なことは、対象を効果的に批判できたからと言って、それで自分が偉くなるわけではないということと、批判後にどのような展開が待ち受けているのかということに関して、批判者が責任を持たなければならないということではないであろうか。批判する自分自身に陶酔していたり、批判だけで完結する社会の一歩目の前には、奈落の底に通じる断崖があるのみである。ということで私は、日本の安全保障上の最大の問題は、オールドメディア、特に左派の言論にあると考えている。国際法違反の間違った戦争をするアメリカを批判することはさぞかし気分の良いことであろう。言論の自由があるのだから批判する行為を批判することはできない。しかし我々日本人はよく考えなければならないことがある。それはまず第一にヨーロッパのNATO諸国がアメリカを批判することと、日本がアメリカを批判することは、同じ批判であっても批判の重みが全く異なるということである。ヨーロッパ諸国はNATOの軍事同盟によって守られている。それではいざという時に日本を守るべきはどこなのかと言えば、間違った戦争をするアメリカなのである。全面的に絶対的に保護してもらえることを期待すべき対象を批判することは、言って見れば小さな子供が親に対してむずかって、手足をばたつかせながら駄々を捏ねているのと同じである。仮に自分の父親が平気で人を殺す冷酷なヤクザで、そのような親の世話になるのがいやなら自立して親子の縁を切り、自分の力で生きていく以外に道はないではないか。そういう親の保護下にありながら、親の非道な行為を批判して悦に入っていてもみっともないだけである。それと同じで日本の左派の言論がアメリカを批判するのであれば、アメリカからの独立の道筋と方策を具体的に提示し、その機運を盛り上げていくためにこそメディアとしての影響力を最大限に行使すべきではないのか。ところが実際にはそれと正反対の姿勢を取り続けているのだから、言って見ればどうしようもなく出来の悪い、いつまでたっても大人になれないガキである。第二に何で日本の左派言論が前後の見境もなくアメリカを批判するのかと言えば、単純な理由で批判が許される国であるからだ。批判することのリスクが0ではないにせよ、ほぼないに等しいものである。これが中国相手では事情が異なってくる。日本国内の言論内容は全て監視されているし、人物の特定もされているであろう。まあその点についてはアメリカも同様なのかも知れないが、中国を批判すれば、中国に行った時に拘束される危険性がある。アメリカではそのような事態になる可能性は0である。日本でそれなりに知名度と影響力を有していて中国を批判して人はたくさん存在しているが、恐らくそういう人々は中国に行けばどのような目に遭うのかわからないということをわかっているので、一生行かないと決めているのだと思われる。マスコミのオールドメディアの人間は組織人なので、会社の命令や事情でいつ中国に行かなければならないかわからないので、恐ろしくて中国批判ができないのであろう。そういう理由で日本のマスコミや政治に中国の勢力がどんどんと侵食していっている面が大きいのではないかと私は考えている。今は確かにアメリカとイスラエルのイラン攻撃で世界が不安定になり、原油価格が高騰し、株価が下落するなどで、そっちの方向に全ての目と関心が集まり、アメリカに対する批判をしたくなる気持ちもわからないではないが、もっと大局的に物事を判断する必要性があるように思われる。日本にとって最も重要なことは、これからの日本がどのようにしてこのような激動の危険極まりない世界の中で安全を確保しながら生き残っていくということではないのか。アメリカを変え得るのはアメリカの選挙であり、アメリカ国民なのである。今の状況が継続すればトランプ大統領は秋の中間選挙で敗北することになるであろう。よってトランプ大統領にとっても最低限の支持率を維持できるかどうかの瀬戸際であると思われるが、いずれにせよそれは日本にコントロールできることではない。日本は日本がコントロールすべきこと、コントロールできることに全力を傾注し、その領域をこれ以上食い荒らされないように守っていくべきなのである。生産性のない、独りよがりの批判に終始していては、内側の見えない部分で外部勢力からのより一層の浸食を手助けすることにもなりかねない。但しもう今のオールドメディア、特に左派には何をいっても無駄である。批判する既得権益を守っているだけの連中が、構造的に日本の危機と困難を作り上げているのである。よってその構造(マスコミ)を一旦、解体することでしか日本が本当の平和を追求することは難しいのではないかと私は考える。

(吉川 玲)