善悪の彼岸 | 龍のひげのブログ

善悪の彼岸

どうしてわからないのだろうか。それが私の正直な感想である。それにしても昨日のフジテレビの記者会見は、おぞましいものであった。今回の会見から得られた一つの大切な教訓がある。それは、頭の程度の低い人間が群れて感情的に悪人の所業を追及したところで、追究されている悪人の方が善人に見えてしまうということである。ということで今回の記者会見の場に参加した、自称ジャーナリストの人々は、その教訓をしっかりと肝に銘じてこれからの人生を生きていただきたいと思う。彼らがわかっていなかったこととは何なのだろうか。それはフジテレビが追及されるべき問題の核心は、港社長が中居君と女子アナのトラブルの中身について昨年の8月時点に報告を受けた時点で知っていたのかどうかということに尽きるのだと考えられる。それは事実認定ではなくて、フジテレビトップの認識の問題である。それが全てであると言っても過言ではない。日枝相談役が会見の場に不在であったことや日枝氏の退任など、言ってみればどうでもよいことである。そもそも87歳の人間をあのような会見の場に10時間も座らせて質問の集中砲火を浴びれば、それでぽっくりと逝ってしまう可能性があるではないか。その方がよほど人権上、問題があるとは思えないのであろうか。話しを戻して、港社長の当該トラブル内容に対する認識の重大性を質問者は理解できていたのであろうか。普通に常識的に考えれば、トラブルがあったことを報告されているのだから中身についてもきちんと説明されていると考えるのが自然な見方である。個々の認定は警察や裁判所のすることで、あくまでも総体的な認識の問題である。中身について知っていたのであれば、それに対してトップがどのような対処、決断をするのかということが企業ガバナンスにとって極めて重大な問題であって、言って見れば論ずべきことはそれ以外には何もないのである。本当に10時間もぐだぐだと時間をかけて、まるで赤ん坊がむずかって手足をばたつかせるような質問を繰り返すことに何の意味があったのであろうか。仮に港社長がトラブルの中身について知らなかったというのであれば、自分の会社の社員が性被害に遭っていた可能性があるのにどうして詳しく状況を知ろうとしなかったのかということになる。これは言って見れば学校でいじめがあって、生徒が自殺するのと同じ構図の問題である。担任教師や校長がいじめの事実を知っていたのか、認識していたのかをまず第一にはっきりとさせなければ話しにならないということだ。港社長は知っていたはずであるのに、自分が知っていたという事実がフジテレビにとって非常に都合が悪いから、プライバシー保護にすり替えて、知っていたにも関わらず放置し、対処しなかったことへの責任の追及から巧妙に逃げていることは明らかではないか。そしてそれをさらに第三者委員会の認定にすり替えて、自分が知っていたことを知っていたと認める責任からも免れているのである。さらにトカゲの尻尾切りで、記者会見の場で辞任を発表することで、今回の問題で本当に明らかにされなければならない闇の事実を封印しようとしたのであろう。独立した第三者委員会などと言っても、それを本気で真に受けて信用する者は世の中のことを何もわかっていない純朴すぎる人間だと言えよう。一生、マスコミに洗脳され続けて生きてゆくつもりなのか。調査など金の力で何とでもなるものである。恐らく2か月後に出てくる報告内容は、港社長やフジテレビの幹部役員が決して知っていてはならなかった闇の事実が綺麗に消し去られていて、尚且つ大衆の怒りのマックス付近にうまくガス抜きの加減を調整したような具合の内容になるであろう。マスコミはそういう大衆操作が得意なのである。昨日の会見を見る限り、質問する記者よりもフジテレビ側の方が遥かに上手であった。あの程度のレベルの正義や倫理は、感情や時勢に訴えているだけで対象がマスコミであれば、マスコミの餌食にしかならないものである。普段から自分の頭でしっかりと社会の善悪について考えていないのであれば、ヒステリックな批判などせずに大人しく黙ってくれていた方が遥かに社会貢献であるといえよう。

(吉川 玲)