悪魔に魂を売り渡した日本の政治と日本人の精神性 | 龍のひげのブログ

悪魔に魂を売り渡した日本の政治と日本人の精神性

何と言うのか、何とも言いようのないことだけれど、もはや何を言っても無駄で虚しいだけだし、それにも増して、こんなにまで何かを言いにくいような、核心の真実とまでいかなくとも、真実らしきことを掠めるような内容のことまで検閲されて、圧力を掛けられる世界においては、何を言うのかではなくて、より良い世の中のために、人類のために何かを言いたいと思う内面の衝動そのものを消し去らなければならないのであるということで、それでは一体、人間とは何なのかという根源的で哲学的な問い掛けに向き合わざるを得なくなり、資本主義や共産主義などの世界体制とは無関係に人間が人間らしさを喪失していく底なしの恐ろしさというものを、何かを言わねばと、全体の幸福のためにと考えるたびに、パゾロフの犬の如く条件反射的に味わって怯えなければならないのであり、不条理であるとか、不正義であるという以前に結局のところは、人間とは、人間社会とはそういうものなのではないかという諦観に落ち着かなければならないということで、そういう風にわたしの沈黙は単なる無でもゼロでもなく言葉にならない苦しみと悲しみを蔵していて、意図せずに私の性向は仏教的であることがわかるのだが、ともかくも私は何者でもないし、偉くも賢くもないけれど、それでも何か大切なことはわかっているつもりであるので言うが、いや本当は全ての人々がこの世に生まれついた時点ではわかっているはずなのだが、仏教的な世界観に照らして見れば、人間が人間であるためには、真の人間らしさを獲得するためには、自分や自分の身近な人間のことだけを考えて生きていくのではなくて、人間全体のことを考えて苦しまなければならないのである。それが、そこが出発点なのだ。若き日の仏陀がそうであったように。人間でありながら、人間存在そのものを客観視して俯瞰し、苦悩するということは、その本性、本体は人間ではない。仏陀は宇宙人であった。そもそも仏教とは、人間が人間であることの苦しみを救済するための宇宙的な教えなのであろう。恐らくは、私も宇宙人である。宇宙人が偉いと言いたい訳ではない。元々全ての人間が宇宙人的なのであるが、人間が宇宙人であることを忘却して、人間であり過ぎるというか、人間であることが悪なのではないが、自分と家族や仲間のことだけを考えて争うことが人間の本来の姿であると錯覚してその考えが歴史的に定着していくようになると、次第に人間は堕落して動物的になっていくのだと思う。だからこそ人間が宇宙人の子孫であることを想起させるために、より鮮明に宇宙人的な魂が地球に送り込まれて来る。或いは自分の意思でやって来る。しかし地球上の生活においては、絶えず恐怖と不安に支配されていて、人間が宇宙人として覚醒することが妨げられるような力が働いている。その作用が悪魔というものの本性である。悪魔もまた人間を支配する宇宙的な存在なのである。悪魔の目的は人間を堕落させることではない。ほとんどの人間は自分のことだけを考えて争ったり、戦ったりしているゆえに放っておいても勝手に堕落していくものである。自分の利害や損得だけで世界を認識していて、その枠の中で頭を働かせて生きている人間、いわゆる俗人の元には悪魔はやってこないし、悪魔的な力は及ばない。悪魔も忙しいのである。そのような無限に存在するありきたりの人間の生活や人生、精神に一々関与している暇はない。そうではなくて悪魔の役割というか、目的は人間を堕落させることではなくて、覚醒を妨げることである。だから修行中の仏陀やキリストは、仏教とキリスト教、西洋と東洋の違いに関わらず同様に悪魔体験をしているのである。人類全体とか世界の在り方の向上のために、ある特定の人間(宇宙人)が地上生活の中で覚醒しようとすると、呼んでもいないのに悪魔は現れて、その覚醒を色々な方法で妨害しようとする。それは私自身、24~5歳の時期に神秘体験をしているからわかるのである。とは言っても誤解のないように言っておくと、何も俗人が悪いとか劣っているというのではなくて、私もまた充分過ぎるほど俗人である。俗人であっても、というよりはこの世の中は程度にもよるが、人間として地球上に生まれた以上は、俗人としてしか現実的には生きられない。特に日本は、字義的にも世間は世の間と書くし、人間は人の間と書く。間ということは、超越することではなくて、埋没することであって、それはある意味では俗に徹するということである。新興宗教の教祖にでもなるというのであれば、話しは別かも知れないが。何が言いたいかと言えば、私のような俗人であっても、無宗教であっても、ドラッグの力に頼らなくとも、自分という人間存在の経験を通じて、自分を離れた人間世界の在り方というものを苦悩しながら純粋に思考していくと神秘体験をすることもあるが、それは人間としての優劣による結果ではなくて、潜在的に宇宙人的なある種の役割というか気質のようなものをもってこの地球に生まれてきていることの属性のようなものであって、この世的な地上生活のビジネスや投資などの金儲けで数十億円の大金持ちになったり、一部の芸能人やユーチューバーのように多大なる影響力を持って、羨望の的となったり尊敬されるという栄華とは次元を異にするものである。それのどちらがどうという問題ではない。しかしこれから述べることが非常に重要なことなのであるが、日本人は元々、潜在的にそういう宇宙人的な特性を強く有している精神性の民族なのであろうということである。だからある意味では日本人は世界の民族な中で最も精神的な覚醒と進化に近い可能性を持っていると言える。それゆえに天才も多い。それはノーベル賞の授賞者数が多いことから見てもわかることである。そのような日本人の潜在的な特質というものは、現状の世界を支配、管理している人々にとっては、はっきりと言えば、悪魔と濃密に結びついている支配層の人々にとっては、脅威であるということであって、これまたはっきりと言えば、日本が世界で唯一、原爆が投下されたのは、日本人のそのような宇宙人的な特性を決して顕在的に開花させずに、根絶やしにさせようとすることが目的であったと言える。よって私がこのような世間的に見て、一般的には理解されがたいような内容のことを述べているということは、私が何か特別な人間とかそういうことではなくて、元々は日本人そのものが特別な精神性をもった民族であるということが意図的に消し去られ、忘却させられたことの例外的な回帰の一事例であるとも言えようが、私のような人間は、表には出てこないで隠れているだけで、今の日本にもたくさん存在するのだと思われる。何千年、何万年と引き継がれてきた宇宙に拓かれた精神というものは、そう簡単に根絶できないものなのであろう。しかし反対に見れば、それゆえにこそ延々として日本という国家に対する苛烈な圧力や完膚なきまでの無力化工作は継続されているのであって、明らかに日本の政治の堕落や退廃、奴隷化はそういうことと深く関連しているのであると見れる。わかりやすく言えば、日本人の精神性を根絶させるよりも、日本の政治やマスコミを奴隷化させる方が簡単であるということである。そして日本の政治や報道が悪魔の支配下に深く陥ってしまえば、本来の日本人的な精神性というものは完全に抑え込まれてしまって、悪性のウイルスのように見做され顕在化することはあり得ないということだ。GHQによる敗戦直後の焚書とか検閲に近いようなことは今も形を変えて継続されている。特に日本の政治の無力、無能、堕落は今更、言うまでもないが見るも悲惨である。それは今の政治を見てもわかるであろう。

日本の政治のトップである内閣総理大臣は、下手に見識や信念などを持っていれば、それ自体が対外的に危険であり、リスク要因であるということぐらいは一般の国民にも理解できることであろうと思う。それは戦後の日本の政治を通して一貫している不変の真実と言えようが、それでもまだ日本の国益や政治リーダーとしての発言を一歩間違って、世界に向けてしてしまいそうな気概の雰囲気を持った政治家は存在した。たとえば橋本龍太郎氏のような。それがどうであろうか。時代を経るごとにどんどんと劣化していって、今の岸田総理などは完全無欠の言いなり以外の何物でもない。今まではあまりにも馬鹿々々しくてまともに考えてみることもなかったが、言われてみれば確かに“本物”であるのかどうかもよくはわからない。ゴムマスクなどということはあり得るのであろうか。この前も報道番組で岸田総理の顔がアップされたのを注意深く見ていて思ったのだが、確かに首の中ほどに、うっすらとではあるが継ぎ目のような横線が入っているのである。ネット上に挙げられたフェイクの可能性が高い画像ではなくて、れっきとしたTVの報道番組での映像である。他の人の顔映像と比べればわかるが、自然に首に横線が入るということは考え難いことのように思われるのだが。ともかくもゴムでも本物でも何でもいいのだが、これまでの総理大臣はまだ政治家としての信念や考えを、本当は皆目喪失していても、あたかも持っているかのように大衆に錯覚させる演技力や話し方をする努力はしてきたようにも感じられるが、それだけでは欧米諸国に納得してもらえないのか、ついには日本の政治も最終段階に入ってきたようで正直なところ心底、恐ろしい。自民党の次期総裁選に出馬表明している小泉進次郎氏などは、可哀そうなのであまり悪口は言いたくはないが、それすらもないではないか。嘘であれ虚飾であれ、彼には自らの考えや主張らしきことを、何らかのきちんとした政治の言葉に置き換えて発言する能力が根本的に欠落しているように感じられる。政治家としての信念とか、国益の観念などとは全くほど遠い精神性の人物であるとしか思えない。そういう人間が次期の日本の総理大臣になる可能性があるというのか。それは今までとは明らかにレベルが異なる究極の言いなりである。ポチの最終進化形ではないのか。タイプは異なるが河野太郎氏なども似たようなものである。彼の言葉は、結局のところは欧米諸国の支配者層の代弁をしているに過ぎない。その威勢を笠に着て、一時的に強気に発言をして注目を集めはするが、都合が悪くなるとというか、嘘やごまかしが露見しそうになると対話をシャットダウンしてしまって、丁寧な説明や対話というものを放棄する。これまた国民に対してはとことん高圧的な姿勢の、その実、究極の言いなりであり、小泉氏とは性質は異なるが、よく吠えるだけのポチの最終進化形であると言えよう。別に小泉氏や河野氏以外がまだましだと言うことではない。五十歩百歩どころか皆、ほとんど似たり寄ったりであって、政治には何一つ期待できないことは今更、言うまでもないことだが、そのような人間が日本のトップになるということは、もう本当にこの国は終末段階に突入しているのではないのかということだ。そういう日本には何が起こってもおかしくはないし、何が起こっても、何も出来ないような、何一つとして中身のあることは言えないような、そういう終末の状況に相応しい日本の総理が悪魔の企みによって予定されているような気がして本当に恐ろしいとしか言えない。悪魔に魂を売り渡した権力者は、本物の悪魔以上に悪魔的となることを我々日本人はよく理解すべきである。繰り返すが悪魔の家来となった日本の権力者はもうどうしようもないが、日本人は元々そういうことを見抜いて、切り抜けていく優れた精神性を持っているはずなのだから。

(吉川 玲)