新しい日本への提言 | 龍のひげのブログ

新しい日本への提言

とりあえず2009年8月30日は、私にとって生涯最良とは言えぬまでも記憶に残る一日となった。

日本に本当の民主主義がついに始動するのである。民主党が頼りなく見えるのは、これまで権力に操作され、誘導されるだけの存在に過ぎなかった我々民衆の一人一人が自らの人生と運命を自立的に選択できる大人に成長するための第一歩を踏み出したことと同義である。国民が見識と意識を高め国家権力を監視する能力を持たなければ、我々は水が低きに流れるようにごく自然に愚民として扱われることになってしまうであろう。それが民主主義社会の目には見えないメカニカルな原理原則である。今回の選挙で当選した民主党の若手集団が我々一般の国民と感覚的にも知識においてもほとんど差がないのは幸いである。なぜならこれまでの権力構造に対峙しつつ、国民と政治家が共に新しい日本をつくるために学んでいくことが出来るまたとない機会であるからだ。

我々日本人は神から与えられたこの千載一遇の好機を決して無駄にしてはならないし、間違っても潰してしまうようなことは許されない。

その上で今後の政治に生かすためにも自民党大敗(退廃)の原因を自分なりに分析してみたいと思う。私が考えるに自民党の大きな責任は総括の機能を失っていたことにあると思う。麻生首相は今回の選挙活動中、お詫び行脚をしていたというが一体何を今頃お詫びすることがあるのだろうか。つまらない失言やスキャンダルのお詫びならともかく、党としての政治責任のお詫びは本来、総括とセットになっているべきものであるはずである。選挙は国民審判の場であって総括ではない。自民党はこれまで小泉政治以降に、安倍、福田、麻生と3人も首相が交代しているのであるから総括の機会が何度でもあったはずである。端的に言えば、小泉、竹中の経済政策の失政を見直して軌道修正が出来たはずであるのに、それをしようとしなかった。具体的には大企業の輸出主導型経済から国内景気の内需(消費)拡大へと根本的に政策転換をすべきであったのである。小泉、竹中路線の基本思考は、経済のグローバリゼーションなどといかに尤もらしい言葉で説明されようとも、所詮、圧倒的多数の中小、零細企業は大企業利益のおこぼれにあずかるべき弱者に過ぎないのであるから強者をより一層強くすることが弱者の取り分も増えるという自民党的な論理であったのである。

その自民党的論理が世界的な同時不況で通用しないことがはっきりしたのだから、その時点できちんと総括してそれまでの経済政策が間違っていたことをきちんと党として認めて国民にお詫びすべきであった。しかし現実には日本は、タイタニック号のように目の前に巨大な氷山が見えていながら進路変更できずに衝突してゆっくりと沈没してしまうことになってしまったのである。自民党内で総理大臣が代わったところで、それまでの基本路線を否定することは許されない。せいぜい“美しい国”などと抽象的な言葉で、前任者とは異なる自分らしさをアピールするのが関の山である。

なぜそうなるのかと言うと、やはり日本の総理大臣がアメリカ型の大統領に比べて権限が弱いからであると思われる。総裁として党のトップであっても、党に従属する位置付けにあるので党の方針に逆らえないのであろう。しかしこの権力構造では現実的に世界の潮流変化に対応し切れないと私は思う。なぜなら経済も国際情勢も生き物のように変化してゆくものであり将来のことは誰にも予測できないことを大前提にすれば、軌道修正が利かない権力は国家にとって非常に危険であるからである。そもそも日本人は一政治家の独裁にはアレルギーがあって遠ざけようとするが、突発的な危機管理や全体的な流れに盲従することの危険性に対して鈍感すぎるように思われる。小泉、竹中の改革路線が功を奏さないのであれば、しかるべきタイミングで時の総理がきちんと総括して国民に謝罪し、新しい方向性を示すべきであった。それで党内が分裂してまとまりが保てないのであれば、その時点で政界の再編をするなり解散総選挙をなすべきであったと私は考える。何はともあれ今回の選挙は遅すぎたのだ。

因みに小泉元総理があれほどまでに国民的人気があったのは、“自民党をぶっ壊す”というようなフレーズが、日本型権力システムの問題と限界を打ち破るかのように一般大衆に錯覚させていただけだと私は思う。そのような言葉の選び方や国民心理を巧みにつかむパフォーマンス能力は高かったのであろうが、基本的には政治家として“まがいもの”であったような気がする。日本の現状に心を痛めている様子もまるで見えない。

これからの民主党に注意していただきたいことは、民主主義ではあっても政治そのものが烏合の衆になってはならないということである。やはり政治のトップである総理大臣がリーダーとして強力な権限で統率し、我々国民は結果によって評価するのが基本であると思う。結果を評価する時期についてもやはり最低4年間は我慢しながらじっくり見ていかなければならないと思う。国民やマスコミはつまらないことで政治の足を引っ張って喜ぶような真似は控えるべきだと思う。そのようなことをしたところで日本のためにならないからだ。

なお今後の政権と官僚との関係については非常に興味深いところである。民主党の新人若手議員には官僚というものの性質を徹底的に研究していただきたいと思う。相手のことをよく知らなければ、使いこなすことなど絶対に不可能であるからだ。どのような動機や背景で、誰の利益を代表して役人はデータや資料を持参してくるのか妥協しないでとことん考え抜いていただきたい。それが出来ないで馴れ合いになるのであれば、自民党政治とまるで変わりはないし、むしろ自民党政治の方がこなれていて安心だとも言えるからである。

また“国家戦略局”なる組織も様々な抵抗や反対はあるかと思うが、時間をかけてじっくりと高度なものに作り上げていっていただきたいと希望する。基本は戦略が利権や予算とつながるようなこれまでの膠着的な官僚体質を廃して、時代の変化に応じてきちんと結果を総括し、柔軟に見直せるような評価システムを確立することであると私は思う。そのためには役人と政治家が密室で協議するものであってはならないと思う。ホームページ等で全てを情報公開し、国民の意見を吸い上げながら生かしてゆくことができるシステムも早急に作るべきだと私は主張する。

何度も繰り返すが、我々国民が民主党に期待するものは国民視点のより高度な国家システムなのである。

わかりましたか。これから何度でも書き続けますよ。