奇妙な一日 4/4 | 龍のひげのブログ

奇妙な一日 4/4

結局、私は二日間ほど妄想に苛まれたが、(正確には妄想と戯れていたが)三日目には脱け出した。あまりの馬鹿らしさに“妄想遊び”に飽きてしまったと言うべきかも知れない。しかし一時は本当に深くはまりかけていた。今、現時点においては6月18日に私の身に起こったことは、私の心が生み出した“偶然”だったと考えている。一般的に共時性と呼ばれる性質のものである。通常は現実が先にあって、それをどのように解釈するかという習慣が日常生活の私的な物語を形成している。しかしある意識の層においては、心はまぎれもなく現実を作るのである。それでは心によって生み出される“現実”とは一体何なのかという深遠な問題に向かい合うことになるが、それについては簡単に論じ切れるものではないし、また私の手に負えるものでもないので今のところ黙する以外にない。しかし心と現実認識の微妙な関係が、洗脳のメカニズムと深く関係しているであろうことは間違いないであろうし、また体感する者の許容範囲を超えて深く精神に働きかければ、その人の現実感覚のバランスを崩し狂気にまで至らしめる危険性もあるものである。それでは結局のところ、集団ストーキング現象の正体とは一体何なのであろうか。被害報告の中には事実としか考えられないような事例が実際にある。一方で病理的な集団ヒステリー現象ではないかとも見えてしまう。私自身前回あのような内容の記事を書いたその数日後に、今回紹介したようなちょっとした出来事から一時的にせよ被害妄想に陥ってしまった。自分で言うのも何だが、私の精神構造はたとえ捻くれているにせよ、基本的には健全で明晰なはずである。私が低次元の妄想に陥るのであれば、日本全国で多くの人が現実感覚を喪失した仮想敵に怯えながら暮らしているとしても不思議ではないように思える。やはりオウムの事件が日本人全体の心に深い傷跡を残したのであろうか。オウムの信者たちも特定集団に絶えず攻撃されていたかのような被害の“現実”を訴えていた。今や日本という“国家”そのものが緩やかにカルト化していっているように思えて正直なところ私は大変恐ろしい。ゆっくりと少しずつ全体的に狂っていけばそれは“正常”なのである。集団ストーキング現象の真相がどのようなものであれ、日本が健全化への道を取り戻すためには、やはりまず第一に宗教の権力への介入、国家権力と特定宗教団体の癒着を許してはならないと私は思う。たとえ合法的であったとしてもだ。そしてこの問題はメディアの体質にも深く関わっているように思われる。公明党の元書記長、矢野絢也氏が創価学会を提訴した際に、本人だけではなく子供さんやお孫さんまで付きまとわれて、本人は命の危険まで感じたと発言しておられた。これは一個人の問題ではあり得ないはずだ。強力な組織力を有する団体が、威圧や恫喝などで敵対する者の言論封殺を図っている臭いがあるなら、本来メディアは何をさしおいても大きな問題としてとりあげなければならないはずである。信教の自由とともに、表現の自由は憲法に保障された国民の基本的な権利だからである。言論弾圧を黙って見過ごすようなマスコミにジャーナリズムとしての価値など皆無である。言論を弾圧しようとする団体が宗教団体ではなく、日教組や女性団体、右翼であっても同様である。今こそはっきり言うが、日本の問題はメディアの問題でもある。メディアの問題は二点ある。第一は圧力に弱すぎるということである。第二はその結果、“良心”を失っているということである。この二つの重大な問題を棚に上げながら、無力な国民たちを自分たちにとって都合のよい道徳の型にはめようとするエリート的な思考回路からどうしても抜け出せない。集団の示威圧力には犯罪の可能性があるものでも目を瞑り、バックボーンのない善良な個人の集団(大衆)には監督者的な立場で言論の府として君臨しようとするのだから必然的に弱い者いじめのような構図になってしまうのである。それで最終的には全て、権力とは無縁に暮らす国民に巧妙にしわ寄せがいくようになっている。まあ、しかし日本人はそのようなシステムに文句も言わず、唯々諾々と受け入れているのだから、日本の全てが自民党支持者のようなものである。私だけが確かな野党だ。しかしこれからはそうはいかないであろう。私にはわかるのだ。声なき声が聞こえてくるかのようだ。私同様に社会に“本当の良心”を求め始めている人々が日々生まれ始めている。女も男も、老いも若きも。私はこれからも日本にとっての良心とは何かを追求しながら書き続けてゆきたい。それが私にとって生きることだからだ。

最後にもう一点、集団ストーキングにおいて“思考盗聴”などという技術がまことしやかに語られるのは噴飯ものだ。思考は力ではあるが、遠隔から内容を読み取れるような性質のものではない。しかし、そのような被害妄想に落ち込んでしまう人が多いこともメディアに責任があると思う。超能力捜査などのくだらない番組の影響が大きいのではないのか。結局、犯人や失踪者は見つからず、見つかるのは家出した猫ちゃんぐらいである。ホームレス体験で有名な漫才師が、そのような番組で失踪していたお父さんを見つけたということになっているが、実際にはお父さんの居場所は最初から大体見当がついていたのだという話しを以前に聞いたこともある。真偽のほどはともかく、あの手のやらせ番組はまったく視聴者を馬鹿にしていると憤慨するのは、はたして大人げないことであろうか。TVを見ると馬鹿になるのは事実だから、馬鹿にされてもしようがないとも言えるのだが。