おまえと俺の問題
小学校二年生の息子が、この頃自分のことを「俺」と言うようになった。
私の父は孫が「俺」と言うことが気に入らないようで
「俺なんて言うたらあかん。おじいちゃんはそんな乱暴な言葉は嫌いや。僕って言い。」と注意する。
息子は「俺」と「僕」の区別がつかないのか、へ、何でみたいな顔をしている。
私は息子のことを名前にちゃん付けで呼ぶことが多い。呼び捨てにすることもあるが、赤ん坊のころから名前の漢字一文字にちゃんを付けて呼んでいるので癖である。それで息子も同じように自分のことをちゃん付けで自称する。幼児的なので良くないとは思っていた。だから恐らく学校で友達の影響だと思われるが、息子が自分のことを偉そうに「俺」と言うと、それこそ赤ちゃんから一人の男へ急に飛躍したようで見ていて妙に面白いのである。幼児性が残ったちゃん付け自称よりは、乱暴な感じのある「俺」の方がまだ好ましいような気がする。
また息子が友達と遊んでいる時に「おまえ」と言うこともある。俺の一人称とおまえの二人称はセットになっている。おまえと俺とは同期の桜なのである。8歳ぐらいの子供がおまえと言ってもそれほど言葉に刺はない。今のところ息子の世界は権力や序列と無縁だからだ。しかし同じマンション内の年上の子供と遊ぶことも多いようだから、やはり気をつけさせなければならない。子供が自分を「俺」と言ったり、誰かを「おまえ」と言いながら人間関係の基本を学んでいく部分もあるのだろうが、やはり親とすればそれらの言葉を使わないように教育した方が無難で安心かも知れない。
因みに息子は未だに私のことを「パパ」と呼ぶ。しかし友達がいる所では「お父さん」に変わる。私が公園で友達と遊んでいる息子を迎えにいくと
息子は「あっ、俺のお父さんや。」と声をあげる。一応そういう使い分けは出来ているようである。
最近は何とも難しいことであるが女の子が「俺」と言ったり「おまえ」と言うケースがある。ジェンダーフリー教育とやらがそのように奨励しているわけではないであろうが、女子生徒が俺やおまえと言うことを注意できない雰囲気は教育現場に恐らくあるのであろう。確かに何で女が俺と言ったらあかんねん、そんなん女性差別やと言われれば答えられず反論もしにくい。また一部の人たちは女性が俺やおまえなどの言葉を使うことに対して、俺と粋がる息子に成長を見る私と同じように女性の自立を見て好ましく思うのかも知れない。
しかしどうだろうか。8歳の男の子が俺、おまえと言ったところで強くなったわけではないのと同様に、ティーンエイジャーの女子が俺、おまえと言っても女性性から開放されるわけでもないと思うのだが。そういうことはどこかでイデオロギーに結びついた洗脳に結びついているように私には感じられる。洗脳は決して個人を幸せにはしないのである。結局、誰かに上手く利用されているだけのことである。
私個人は女子生徒たちが仲間内で「おまえなあー」とか言いながらふざけあっている光景を見ても実はそれほど違和感を覚えない。むしろ清潔感のある女性が乱暴な言葉を使っていると反対に“女らしさ”を感じてしまう。しかしマナーの問題になると話しは別である。日本人のマナー感覚とは欧米人とは違い“恥じらい”や“控えめ”の性質と深く関係している。たとえば日本人は歳暮を贈るときにつまらない物ですがと言って手渡すが、欧米人はそのように言われるとお前はつまらない人間だと言われているように感じて立腹するそうである。日本人のマナーとは基本的には自己否定である。それが良いか悪いかは別の問題である。事実としてそうなのである。よって日本人は恥じらいや控えめな謙遜が喪失すると途端にマナーが悪くなる。一概に若者の方が年長者よりもマナーが悪いとは言えず、むしろ高齢者の方がマナーが悪い場合が多いのは若者の方が恥じらいの気持ちが強いからである。
しかし電車内や路上などの公共の場所で「おまえは」と会話している女子にはマナーを保つ恥じらいが喪失しているように思える。実際にそのような女子が電車内で高齢者に席を譲る場面を見たことがない。私は中年の男だが電車内では恥らいつつ席を譲るようにしている。またどこか凶暴性を秘めているのではないかと思われる女子も多い。間違ってそういうのに関わると大変なことになる。
女性の凶暴性は日々、イデオロギーによって作られてゆく。
恐ろしい世の中である。