アンタッチャブルな領域 | 龍のひげのブログ

アンタッチャブルな領域

たとえば役所の“裏金”の問題一つをとって考えて見ても、社会保険庁の年金横領や着服と同じようなケースが考えられるので徹底的に調査すべきであることは言うまでもない。

なら、どうして警察組織の裏金については全国的な問題として大きく取り上げられないのか。一部の地方(北海道、高知県)で地方新聞社が警察裏金の疑惑を粘り強く追及し暴いた事実があるようだが、東京や大阪のような大都会ではそのような話しはまったく聞かない。(私の知らないところであるかも知れないが。)

もちろん外交官の機密費のように表に出にくい金が警察組織にはあって、手が出しにくいアンタッチャブルな領域であることはよくわかる。私自身の個人的な考えとしても、捜査協力についての謝礼や内偵の活動費用などの情報を一般に公開していたのでは肝心の捜査に支障をきたすであろうから本末転倒であると思う。これらのことは本質的には組織の職務内容に関連した、予算や会計手法、情報公開のあり方の問題であると思う。最終的に国家(市民社会)にとってプラスになるかどうかだ。

しかし私が今、問題にしているのはそういうことではない。大衆の道徳感覚や不正に対する糾弾は社会構造が生み出すものであって、その道徳や糾弾が全体にそれなりに機能している間はいいのだけれど、今日の日本のように自殺者やうつ病者が一向に減りそうにない現状では背後の歯車の構造をよく点検して改めるべきところは改めていく時期に来ているのではないかといいたいのである。その一例として地方新聞社が果敢にジャーナリズムとしての責任を果たしているのに中央の権威あるメディアはどうして警察の“不正”に踏み込めないのか。

普通に考えれば大新聞社は資本系列下にTV局などを抱えており、ドラマや映画撮影などにおける道路利用で警察から認可を得たり、また警備してもらわなければならないことも多いから警察組織との良好な関係を何よりも大切にするのだと思われる。だから「警察の方々、いつもお疲れ様です。」と苦労をねぎらうような捕り物調的なドキュメンタリー番組ばかり作って放映している。

そのような番組や刑事が格好よく殉職するドラマばかり見せられていたのでは誰だって洗脳される。私も幼い頃刑事ドラマを見すぎたおかげで、つい最近までは警察は絶対に嘘をつかないと思っていた。

ところが実際には“冤罪”が起きる。また明らかに事件性があるものについて事故として処理されてしまうケースも多いようである。TVの報道番組では何年か前にニュースステーションが、高知県で自衛隊員が橋から墜落死し警察が自殺と鑑定、処理したことに対して明らかに地元の暴走族によって投げ落とされた殺人事件の可能性が高いとして取材を重ね、警察の捜査手法についての疑問点など複数回にわたって放映していたものがあった。

しかし私がこれまでの人生で見たものはそれだけである。それも地方の出来事の一こまである。全ては闇から闇へと葬られてゆくのである。

私がメディアの構造改革、再編が必要だと思うのはこれらの理由によってである。