初めて、沖縄に行ったのは、35年前…
車の車線も逆で、空港には免税店が並び、三越ではトップブランドコスメが安かった。
どこまでも青い海と空
観光ムードは、直ぐに萎えた。
ひめゆりの塔を始め、戦火の爪痕生々しい所を回り、説明を受けた。
テレビで観てはいたが…言葉にならないものが、込み上げた。
遠縁が語る、地上戦の酷さ
子供達は、25セント硬貨がある日100硬貨になり、それまで買えていたおやつが、買えなくなった。菓子屋のおばさんの切ない瞳は、今も彼女の心に在る。
お世辞にも《美味しい》とは、言えなかった郷土料理
都内の琉球料理屋の味は、30年前のそれらとは違う。
米兵も沢山いた。
青い空を軍用機の轟音が切り裂いていた。
緑の涙は
サトウキビ畑
果樹園には、梟がいた。
30年前の沖縄は、ワタシには日本では無かった。
観光地として栄えながらも、未だ、身元不明の戦没者が居る。
照りつける日差しの中、続く石垣の向こうから聞こえた三線の音色は
犠牲者へのレクイエムに聞こえた。
今も、何故かワタシには、三線の音色は悲しく響く
暴力に依る解決など無い!!
古今東西、世界中の犠牲者の皆様へ
合掌