「人生の意味」の多様性 哲学者 森岡正博

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人生の意味は何かという問いは、すべての人に開かれたものである。だから、それについて哲学的に考えるときも、人々の多様な生活経験をベースにしながら思索を進める必要がある。ところが、実際はそうなってはいない。

21世紀のこの分野の研究を推し進めたのは、欧米の大学教授たちである。したがって、彼らのハイソサエティの道徳やエリート的な趣味が、どうしても議論に入り込んでしまうのだ。たとえばトルストイの小説をただ書き写すだけの生活や、クロスワードパズルを延々とやることは、人生に意味を与えないと彼らは言った。

ではどういう生き方が人生に意味を与えるのかというと、芸術活動をすること、世界に対する知識を拡大すること、自然保護をすること、卓越した人間になること、自分の能力を開発すること、などであるというのだ。

私は、これらのリストは著しく偏っていると思う。なぜなら、それらの活動を行うことができるのは、文化的資本と経済的余裕に恵まれた特権的な人たちであり、自分のために自由時間をたっぷりと使える人たちに限られるからである。

生活するのに精いっぱいで、自分を高めるための時間も精神的余裕も持てない人々の心に、これらの人生の意味の哲学は響きにくいだろう。人生の意味の哲学にもっとも必要なことのひとつは、多様性に富んだ「人生の意味」を追求できるための社会的な基盤をすべての人が享受するためにこの社会をどう変えていけばいいかを考える政治哲学である、と私は考える。