【0812】
毎月ついたちは、雑記の日。
最近はちょっと低空飛行。
いや、かなりかもしれない。
いま、中途半端なひきこもりをしているわけだけど、
「ひとりでいることのつらさ」を感じたりもする。
そして、思う。
「自分はこんなにも弱いのか」と。
また、思う。
『自由の不自由さ』を。
実家でのホボ何の制約もないひきこもり生活。
そもそも、やりたいことや欲の少ない僕にとって、
なかなか難しい状況なのかもしれない。
人とのつながりの中にいるとき、
さまざまな「制約」にしばられてしまうのだけど、
その「摩擦」こそが生の実感であったり、
自分という人間の価値の認識であったりするのだと思う。
自己完結的に自分の価値を見出せない僕としては、
自己発生的に自分の動機を見出せない僕としては、
このひきこもりという状況は、
望んでいるようで、実はそうではないのか?
周囲との「制約」の中に生きるとき、
ひとは、根源的な問いから目を背けることができるのだろう。
自分はなにもので、どこからきて、どこへいくのか。
この問いについて目を逸らし、考えないことで、
人は合理的に、滑らかに生きていく。
しかし、いまの僕は、常にこの問いに向き合っている。
もちろん、目を逸らしている時間はあるけども。
ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の一節が頭をよぎる。