われわれが重苦しい気分になるのは、何かにこだわるからである。「あんな失言をしたが気にさわりはしなかったかなあ」とこだわりはじめると夜もよくねむれないが、 「あの人間はつまらぬことにこだわる人間じゃない、独り相撲はおかしい」と思えるようなら気は楽だ。何事にもこだわらぬ人間は人の心をも開放する。
 こだわる人間は誰の心でも片っぱしから縛って行く、人をのびのびさせるような人はこだわりのない人だ。日々話す相手には、家族・友だち(異性も)・目上の人・お客様など仕事上の人など、実にさまざまです。 仲のいい友達と会って話す日ごろの何気ない会話においても、少し相手の気分を害するような言葉を使った場合など、別れた後に、そんな自分の発言が気になることがあります。
「友達だから、いいじゃないか。きっと真意を判ってくれるだろう」と思っても、「いや、友達だからなおさら気にしてるんじゃないかなあ」と余計に気になるのです。
 「あの時は、ああ言ったが、こう言ったほうが良かったのではないか?」と
悔やまれることばかりです。
 「あの方はそんなことにこだわる人ではない」と思える人でも、本当にこだわってないのか何かの機会をつくって確かめたい心理になります。そして、理由を考えて電話する時には、小さな胸が高鳴ります。その第一声のトーンに全身の血が集まる思いです。
 そこで、相も変わらぬくったくのない声に接したとき、内心の安堵感はいかばかりか!
つい、その後の会話における自分の声の上ずりを気にする方がいいくらいです。
 そんなことがあれば、その人をもっともっと好きになることうけあいです。
さらに、尊敬の気持ちは敬愛の念へと高まることでしょう。