素直である(3)

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ひねくれがちで我がままな末っ子の私が「素直さ」を学び、少しはましになるのは、父母や兄4姉2人の優しさに加えて、菰田小学校4-6年の恩師山本淳一先生(飯塚市在住)のお陰です。
生徒の美点を伸ばし個々の創造性を重んじる先生は、勉・遊共に全身で情熱を注ぐ厳優の教育者でした。先生作成の「勉・遊生徒相関図」にある遊びリーダー「HY」はいつも怒られ役。熱血漢の先生は怒る時も真剣で恐かった。
ある日、みんなの前に立たされガツンと殴られ、とても痛かった。そこで、先生の顔は「情熱」と変し、鉄拳の痛みは「素直さ」と化して、私の瞼と左頬に焼き付く。それからは何かにつけて現れ、ともすれば曲がりがちな心根を正してくれるのです。
いや、恥を忍んで申せば、年とる毎に増えてきて、今や頬の疼きに熱い顔が瞼に浮かび、涙腺が暫し緩むのを感じない日はないのです。   
「素直さ」は私の生涯未達の課題なのです。
近年のいじめや自殺などことばを憂えるにつけ、多くの「山本先生」の出現に期待するばかりです。

福澤諭吉は「交際における親睦は、この率直さのなかにこそある。
気軽な人、さっぱりした人、男らしい人などと世間で言うのも、親しんでかつ率直な態度を言ったのである」
(『学問のすヽめ』)と素直さが人とのお付き合いの原点とおしえています。 

「うわべの飾りと見栄ばかり・・・・だから、嫌われる」