(続き)

 さて、いよいよ直談判になると、西郷は、俺のいふ事を一々信用してくれ、その間一点の疑念も挟まなかった。「いろいろむつかしい議論もありませうが、私が一身にかけてお引受けします。」西郷のこの一言で、江戸百万の生霊も、その生命と財産とを保つことが出来、また徳川氏もその滅亡を免れたのだ。もしこれが他人であったら、いや貴様のいふ事は、自家撞着だとか、言行不一致だとか、沢山の兇徒があの通りと処々に屯集して居るのに、恭順の実はどこにあるかとか、いろいろ喧(やかま)しく責め立てるに違ひない。万一そうなると、談判は忽ち破裂だ。しかし西郷はそんな野暮はいはない。その大局を達観して、しかも果断に富んで居たには、おれも感心した。

 この時の談判がまだ始まらない前から、桐野などいふ豪傑連中が、大勢で次の間へ来て、ひそかに様子を覗って居る。薩摩屋敷の近傍へは、官軍の兵隊がひしひしと詰めかけて居る。その有様は実に殺気陰々として、物凄い程だった。しかるに西郷は泰然として、あたりの光景も眼に入らないもののやうに、談判を仕終えてから、おれを門の外まで見送った。おれが門を出ると近傍の街々に屯集して居た兵隊は、どっと一時に押し寄せて来たが、おれが西郷に送られて立って居るのを見て、一同恭しく捧銃(ささげつつ)の敬礼を行った。おれは自分の胸を指して兵隊に向ひ、いづれ今明日中には何とか決着致すべし、決定次第にて、或いは足下らの銃先(つつさき)かかって死ぬることもあらうから、よくよくこの胸を見覚えておかれよ、と言ひ捨てて、西郷に暇乞ひして帰った。

 この時、おれがことに感心したのは、西郷がおれに対して、幕府の重臣たるだけの敬礼を失はず、談判の時にも、始終座を正して手を膝の上に載せ、少しも戦勝の威光でもって、敗軍の将を軽蔑するといふやうな風が見えなかった事だ。

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以上、本文からそのまま抜粋した。

大勢の官軍が捧銃で見送る前で勝海舟が言い捨て、意気揚々と引き上げる場面を見たかった!

西郷の勝にとった儀礼を胸に秘め、かくあるべし!と心を引き締めたい。