NHK大河ドラマ「西郷どん」を毎週楽しみにしている。特に長州人の言動には興味を持ってその深奥を味わう。何故なら、彼らの恩師吉田松陰先生を崇拝しているからだ。毎年世田谷の松陰神社にお参りし、お守りも常時身に付け、日々身から出る、或いは降りかかる難事難関に当たってはその御姿を思い浮かべて善処を心掛ける・・・そんな毎日故実際の教え子達が先生の死後10年後に、守り温めたその思想を実現させた熱い想いに共感共鳴するからである。

 「江戸無血開城」は西郷どん最大の功績とも言えよう。それが去る7日(日)のテーマであった。西郷の相手は御承知の勝海舟である。西郷が徳川幕府を、慶喜を完全に破壊する総攻撃を前に、勝が単身薩摩屋敷を訪れ、直談判した結果「無血開城」となり、江戸は火の海を免れた史実・・・この最高最重要なドラマがどう描かれているか?興味深く見た。それは、手許にある勝海舟言行録『氷川清話』(講談社文庫)を何度も読んでいたからだ。勝が話した内容をいかに表現してくるか?を最初から楽しみに待っていたのである。

しかし、その記述された史実と少々異なり、残念な気持ちで一杯であった。折角本人が語っている内容が記されているのに・・・。実にもったいない!それに視聴者に誤った印象を植え付けているのはNHKらしくないと思う。そこで、お読みになっていない方のために、同書にある内容を下記に記したい。少し長いが、それをじっくりお読み頂き、テレビの場面と比べて頂きたい。その根本的違いがきっとお判りになるだろう。思い起こして比べれば別の楽しみや違った興味も沸いて来るでしょう。

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西郷と江戸開城談判

 

 西郷なんぞは、どの位ふとっ腹の人だったかわからないよ。手紙1本で、芝、田町の薩摩屋敷まで、のそのそ談判にやってくるとは、なかなか今の人では出来ない事だ。

 あの時の談判は、実に骨だったョ。官軍に西郷が居なければ、談(はなし)はとても纏まらなかっただろうョ。その時分の形勢といへば、品川から西郷などが来る、板橋からは伊地知などが来る。また江戸の市中では、今にも官軍が乗込むといって大騒ぎサ。しかし、おれはほかの官軍には頓着せず、ただ西郷1人を眼においた。

 そこで、今談した通り、ごく短い手紙を一通やって、双方何処にか出会ひたる上、談判致したいとの旨を申送り、また、その場所は、すなはち田町の薩摩の別邸がよかろうと、此方から選定してやった。すると官軍からも早速承知したと返事をよこして、いよいよ何日の何時に薩摩屋敷で談判を開くことになった。

 当日おれは、羽織袴で馬に騎(の)って、従者を一人つれたばかりで、薩摩屋敷に出掛けた。まづ一室へ案内せられて、しばらく待って居ると、西郷は庭の方から、古洋服に薩摩風の引っ切り下駄をはいて、例の熊次郎といふ忠僕を従へ、平気な顔で出て来て、これは実に遅刻しまして失礼、と挨拶しながら座敷に通った。その様子は、少しも一大事を前に控えたものとは思はれなかった。

(以下後程)