誰しも、身内が死に至る病に冒された時、本人に告知するかしないか?で人生で最も大きな苦しみと深い悩みを味わうことでしょう。これは明らかにウソを言うか言わないか?ではないでしょうか。告知しない場合にはすべてを徹底的にウソで固めることになるのです。これが許される極限のウソとすれば許されない極限、つまり真実を言うべき時に言うウソは絶対に許されないことになります。ところが真実を述べるべき極限ともいえる裁判においてさえ、悲しいかな、双方でウソのつきあいと暴あばきあいのバトルが展開されています。腕のいい弁護士や検事であればあるほどいかに巧みに嘘を暴き、嘘を暴かれないかの勝負とも言えましょう。
とはいえ、まっとうに生きていく上において、ウソを言うつもりはなくても、結果的にウソになるケースもあります。
以前、若くして独立したある友人が、その日の生活にも困るようになり、「こここ数日ちゃんと食べてない。来月入金のあてがあり、きっと返すから、少しでも・・・」というので、何がしか都合したことがあります。まだ、うまく行かないようで心配です。でも、居所は報せてくるので頑張っているのでしょう。
このように、本当に返すつもりで借り、心は返したくとも、実際に返せない場合だってあります。そういえば、ほとんどの言い訳の素とは「つもりちがいのウソ」ではないでしょうか。その「つもり」をどの程度にみるかによってウソの度合いが変わってくるようですね。ただ、最初から返すつもりがなくて返さない人は“詐欺師”と呼ばれます。
人生は、すべて本当のことだけを言えばうまく行くかというと、むしろそうではなく、いかに本当のことを言うべきタイミングと言い方を学ぶことといっても過言ではないでしょう。
また、儀礼を守ろうとすればどうしても一部分はあいまいにせざるを得ないことが多いものです。杓子定規しゃくしじょうぎに真実しかいえない人は、誠実なようでほんとうは冷たい人でもあります。人のちょっとした失敗に対し、知らないと言えること、知らないふりをしてあげることなどは、ウソというより思いやりなのだと思います。
日常生活においても、、今は言わない方がよいことや、ほんとうは言わないでおく、つまり、小さなウソで紛まぎらしていた方が時には人間的であったり、あるいは円滑にものごとが進むことが多いはずです。
世の中は白か黒の二色ではありません。人生はすべていろんなグレーでもあり、多色カラーでもあるのです。つまり、刻々目の前に現れる微妙なグレーゾーンやカラーエリアをいかに切り抜けるかで人生は大きく違ってきます。その処し方に人生の妙技があると言えましょう。嘘は人生の潤滑剤でもあるのです。
「今日きょうほめて明日あすわるく云いう人ひとの口くち 泣なくも笑わらうもうその世よの中なか」(一休)
善いウソが言えない、だから嫌われる!