企業においても、何か不祥事でもあれば、マスコミや顧客からの問い合わせに対応します。そのとき、どこまでどんな情報を開示するかについて、企業ビジョンや倫理観あるいはコンプライアンスの考え方などの企業防衛との狭間で悩むのです。
とはいえ誤解してはならないのは、何でも情報を出すことが情報開示ではないということです。情報を「今、明らかにできること」と、「“今は”、明らかにできないこと」をきちんと分けて、その都度、ことの進み具合を見て、言われなくても記者会見して誠実な対応を心がけることであります。
ウソを言わざるを得なくなるのは、誠実な経営の姿勢・透明性の高い広報体制が日頃から整っていないからなのです。つまりつねに新鮮な水と清らかな空気(情報)を組織に注入し、水はけと風通しがよい土壌を造ることにより、滋養分の高い栄養素や健康を損ねる毒素(情報)を吸い上げるのです。                           
嘘を言わないに越したことはありません。しかし、ウソなしには、人生は成り立ちにくいことも事実です。人間はその時々では、「真心まごころの嘘うそ」を発する必要も多々あるのです。ウソが思いやり・温情で、ホントは冷酷・非情の場合は少なくないのです。毎日、全くの嘘なく過ごせる人はあるでしょうか?全て真実を語れば、親子関係は断絶、夫婦関係も、友人関係も即座に終わるでしょう。お客様との関係を真実のみを語って過ごせるか?
待ち合わせに遅れた時の言い訳は殆ど嘘でしょう。
だから、芥川竜之介も
「わたしは不幸にも知っている。時として嘘による外は語られぬ真実もあることを」
(『侏儒しゅじゅのことば』)とつぶやくのです。