2007年5月16日(水)山形新聞夕刊に大きな記事が掲載されました。

 山形生まれ明治の女傑であり、戦前戦後の珍しい女性ベンチャー起業家である池田敏子さんのことを山形新聞報道部の鈴木雅史さんに共感いただき、大きな記事になりました。

 それも着物姿の敏子さんが書斎で執筆している写真も大きく掲載。もちろん、2冊の書籍の写真も載せていただいています。

 感謝します。

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『人に好かれる法』
     (近藤信緒著 山見博康編)
『だから嫌われる』
 近藤信緒の「人に好かれる法五十ヵ条            (山見博康著)

 手元にある一冊の古書『人に好かれる法』が私の人生を変えてくれた。
今から30数年前、まだ30歳の頃、古めかしい日焼けしたこの本に感動、「座右の書」とし、10年に渡る海外生活にも携行した。お陰で日々の過ごし方・人との接し方・人間としてのあるべき姿を学び、好き嫌いが多い欠点も少しは矯正されたようだ。

 本書は、1949年戦後の荒廃した時代に出版された教養書で50万部以上のベストセラーとなり、幅広い人々、特に地方の青少年の心を和ませ、癒し、精神的高揚を促した。
 私が本書に憧れる理由は、「虫が好く、好かない」や「欠点が好かれる」など平易な題目を含蓄ある高雅な文体で判りやすく解き明かし、だれにも何らかの激励と自省、勇気と謙虚さを与える優しさにある。さらに、「いつも美しい義理と人情を生かしていく人は、好かれる程度ではなくて、真に信頼され尊敬される」などと人間力向上の秘訣をも訓えるからである。その断固たる調子から、私は著者を「男性」と思い込んでいたが、実は「女性」と判った時は驚いた。 

 この素晴らしい著作を眠らせては日本の損失である。少年犯罪が増加し荒みがちな現代の人たち、特に生き方に悩む母親や若人にも広く読んでもらいたい。こうした私の願いが叶って、忘れ去られる寸前に同じ装丁で蘇ったのである。

 その最終章に第1条約束を守れ、第7条見栄がないなど「人に好かれる法50ヵ条」がある。私は2年前からメルマガで各条ごとに、多用な失敗・成功を通して学んだ独自の考え方や人生観を率直に記していたが、それが『だから嫌われる』として同時出版されたのだ。刺激的な書名ではあるが、内容は孔子やソクラテス初め古今東西の偉人哲人の人生訓に照らして得た、日々折々の処世術であり、世渡りの秘訣とも言えよう。
各条の最後に記した「見ザル 聞かザル しゃべりザル・・・だから嫌われる」などの標語が、読者の感性と呼応して一層の理解を促すと思う。

 これらの本が、人生に迷う人の指針となり、軋轢(あつれき)に苦しむ人の心の安らぎとなり、コミュニケーションに悩む人のささやかなともし火となることに期待する。併読によってより良い「好き方・好かれ方」を学び、「人間力」の更なる向上を加速できよう。

 近藤信緒こと池田敏子さんは、日露戦争勃発の1904(明治37)年山形市で8人兄妹の長女として生れた。家計が苦しく山形県立女子師範付属小学校をようやく卒業するなど貧しい少女時代を過ごし、十代半端の頃一家で上京。向学心に燃える彼女は日曜学校で学び、東京保母伝習所を卒業した。

 結婚後5児を儲けたが生活に困り、「元手が要らない」出版社を30歳で設立。『葉隠』『若き母に贈る』(文部省推薦図書)や自著『人を知る法』等相次ぐベストセラーで成功。戦後離婚し、1949年現池田書店設立。当時では珍しい女性起業家であった。武者小路実篤・下村湖人・福田恆存など著名作家とも交流、数年で百冊以上の教養書を出版。
 経営者ながら自らも『人に好かれる法』の他『人の統率法』『人を動かす法』『人を見抜く法』など若くして10冊以上の教養書を著した典雅な教養人であった。学歴はなくとも苦難と成功が交錯する多様な人生経験が懐深い品格ある人物形成を促したのであろう。1984年80歳で逝去した。

 この度、山形生れの隠れた明治の女傑に光を当てることができ誠にうれしい。次男の菊夫さん(池田書店相談役)は「母は山形を愛し、よく蔵王へスキーに連れて行ってくれた」と語る。2年前に県立図書館で調査した際、敏子さん家族がいつも宿泊した「かみのやま温泉村尾旅館」を訪れ感無量であった。

 私は今、次の復刻に備えつつ、「おしん」のようなドラマにも相応しい敏子さんの波乱万丈の生涯を伝記として執筆中である。一日も早く上梓してこの豪快優美な山形女性を、歴史に名を残すべき偉人の1人として多くの人に報せたいものだ。   
          【山見博康記】

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