日経広告研究所機関誌「広研レポート」
06年2月号「実践戦略広報」第二回

     広報は経営だ!
   広報の知識ない経営者たち

 広報は、広義ではパブリックリレーションズ(PR)と呼ばれ、狭義ではパブリシティと解される。では、企業にとっての広報とは、どのように定義すればいいのだろうか。
 『企業広報の手引き』(堀章男著、日経文庫)によると、「企業広報とは、企業が企業自身や製品・サービスなどに対する社会からの好意と信頼を維持するために、その政策および行動のなかで企業の哲学を専門的なコミュニケーション技術によって表現していく機能」となっている。

 一方、PR協会では「多用な公衆との間に継続的な信頼関係を築いていくための行動」と定義している。
 しかし、いずれにしてもそこには「経営」という言葉は見当たらない。
私は大企業で広報を長く担当した後、中小企業向けのコンサルティング会社を興し、多くの経営者に「記事にしてもらうこと」の実践的な指南をしてきた。
 そうした私の経験からすると、ほとんどの経営者は広報について知識がなく、問題意識も希薄なので、せっかくいいネタを持っていながら記事化していないケースがあまりにも多い。
 そこで、多くの中小企業経営者に実践指南をしているわけだが、私がその際、声を大にして強調しているポイントは、「広報担当社長になれ!」ということである。つまり、従来の広報の定義に捉われず、「広報は経営そのもの」と唱道しているのだ。
 
 それでは、なぜ経営なのか?
 製造業の場合で言えば、一般に企業活動というのは原材料を仕入れて何らかの付加価値をつけ、それを商品やサービスの形にして販売し、利益を得る。そして、それを再投資に回したり、従業員の待遇改善に使ったり、内部留保にするという一連の流れで成り立っている。

「報せる」という行為は不可欠

 こうした仕組みは、トヨタやキヤノンのような世界的な大企業であろうと、零細企業や中小企業であろうと、原理はまったく同じであり、このサイクルを回すことが経営なのである。
 そして、付加価値をつける、言い換えれば「価値作り」から、商品・サービスの形にして「売る」というプロセスの途中には、ある重要な企業活動が存在していることを忘れてはならない。
 例えば、石焼きイモの行商人は、農家でイモを仕入れ、焼いて焼きイモにする。つまり、価値を高めて商品にし、町へ運んで「石焼き~イモ!」と叫ぶ。この「叫ぶ」という行為は、実は多くの人に「報せる」ためなのである。報せなければ買ってもらえないからだ。
 従って、売る前には必ず「報せる」という行為が不可欠になる。消費者・生活者に「広く報せる」=「広報」は、売るための補助手段ではなく、あくまで「経営の一部」なのである。どんな時代でも生活者に的確に報せる能力が顧客を増やす原動力であり、その優劣がライバルとの競争に勝利する。広報の能力=成長の能力と捉えるべきであろう。
 生活者が知らない企業は存立することが難しい。企業のビジョンや理念、方針、戦略などを、適切に、タイムリーに報せなければ判ってもらえない。企業のイメージアップやブランド力の向上も、そのベクトルの上にある。
 情報の高速化・グローバル化が進展している今日、さらには価格・品質・顧客嗜好などの価値観が多様化している時代においては、広報の役割を漠然と捉えていたら企業は相対的に衰退する。
 構造改革が進み、規制が緩和されて異分野・異業種からの参入が容易になると、競争は一段と激しさを増す。そして、激しさを増せば増すほど、広報の重要性はますます高まる。それだけに、「広報は経営の一部」という意識をしっかりと持ち、企業情報を適時・的確に報せて、タイムリーに記事化するというスタンスを持つことが、何よりも求められる。