2014年10月10日付「中央公論」に掲載されたインタビュー記事の内容です。
私は、慰安婦問題そのものに関しての論評は出来る立場にはないが、公的機関である企業として見た場合の朝日新聞の対応振りには、
いつも企業広報や経営者に実践指導しているコンサルタントとしては、目に余るものがあり、顧客への私の姿勢を明らかにすべきと考えてインタビューを受けました。
朝日・読売他メディアの方には仕事柄大変お世話になっているので、その意味でもメディアの信頼と誇りの回復をお願いしたいものです。
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組織や企業の広報・危機対応コンサルタントとして長年活動してきた私から見ると、今回の朝日新聞の一連の対応――慰安婦報道についての八月五日、六日の紙面および九月十一日の会見――については、想定の甘さを含めて、非常に大きな問題があると感じる。
 メディアには、社会の動きやさまざまな事柄に対する評価・批判・監視の役割がある一方で、それ故に、公平性・客観性が強く求められる。一企業といえどもより公的な存在として大きな責任を持つべきなのに、今回の朝日の態度からはそれに対する自覚や反省というものが感じられない。
 まず八月五日の時点で、過去の慰安婦報道に誤りがあった、つまり組織としての誤りを発表するのであれば、

1.その案件に関する自らの姿勢の提示
2.現状と対策の報告
3.社会的責任の表明

の三つを積極的に示す必要があった。このとき記者会見と謝罪を行わなかったことがいちばん大きな問題だろう。
九月十一日に会見で謝罪したが、、吉田調書のついでといった印象は拭えない。誤りを認めたのであれば、社長がトップとしての責任を表明、直ちにに謝罪し対応策を明示すべきだった。

九月十一日に言及があった慰安婦報道についての第三者委員会設立も、八月五日に設立発表するべきものだろう。検証記事から会見まで一ヵ月以上もあったのに、その間にどういう手を打ったのか、何も提示できなかったのも問題だ。朝日新聞という巨大な影響力を持つ組織としては、適切に機能せず、お粗末と言わざるを得ない。

 また、このような場合に示すべき必須の事柄というものがあるが、それについても自覚の足りなさが目立つ。
まず、「被害の範囲・状況」を過小評価していないか。朝日の読者にとどまらない、今回の件の社会的国際的影響と、それに対する責任についてどう考えているのかについては、態度を明らかにしていない。

また、「原因の究明」について、完全ではなくとも、その時点で判明していることを発表する必要がある。それが「裏付け取材が不十分だった」だけではいかにも軽すぎるし、社外の第三者委員会に検証を依頼するとしても、まず社内でできることが何かいろいろとあるのではないか。

 何より必要なのは、「再発防止策」だ。これは原因究明と絡むのでその上で考える部分もあるが、とはいえ、今すぐできる「当面の対策」があるはずであり、手を着ける・着けた事柄を明言しなければならない。吉田調書の件についての文脈になるが、「思い込みやチェック不足などが重なったことが原因と考えております」との言葉がある。チェック不足だったというのであれば、チェックの手順をより厳しくするとか、手順自体を変更するといった、読者や社会に対し再発への不安を除く取り組みを開示するべきだろう。

 そのうえで、今後は「組織としての姿勢」を示し続ける必要がある。信用・信頼感の回復は、目に見える売り上げなどより、遥かに時間がかかるもの。組織再生への取り組みを最大限に示し続けるのはもちろん、誤報から生じたとされる広範な影響にも国益及び国民益に鑑み真摯に向き合い自ら進んで好転させる手を打つことが望まれる。

 一方で他のメディアにも、今回の件を他山の石とし、各自の体制を省みる機会としてほしい。新聞についていえば、一般家庭は通常一紙しか購読していないということを記者はもっと自覚する必要があるのではないか。それだけの影響力を保有していることについて、相当な覚悟を持って持ちすぎるということはない。批判に終始するのではなくメディア全体の信用と権威の回復好転に努める姿勢を見せてほしい。

 組織というものは過ちを犯しても、問題箇所の見直しや人事刷新など適切な処置を行えば必ず再生するものだ。朝日新聞もメディアの大義に立ち返り、本来持つ崇高な使命を果たしてくれることを期待している。

                以上