2006年2月20日(月)フジサンケイビジネスアイ「危機管理・コンプラ
イアンス」欄への投稿記事です。ご参考になればうれしく存じます。
「経営者の倫理観」・・・正しい歴史観・美徳を備えた教養人に
昨年6月、ライブドア広報に問合わせしたい案件があり、ホームページを開いたが、電話もFAXも見当たらないどころか番号案内の「104」にも未登録と分かり少々驚いた。
「四季報」で見つけた代表番号に電話し、音声案内でようやく広報にたどり着いたが担当が不在という。そこで「コールバック」を頼んだものの、なしのつぶて。不信の念を抱いた。とあるセミナーでの同社女性広報担当の講演において「堀江は誠実ですばらしい人間」うんぬんの過剰な誉め言葉と「広報も採算第一。お金を取る」という姿勢に違和感を覚えた。
質疑応答の時、ホームページに電話番号の記載がないのは企業としてあるまじきと思うが?と問うと「外部からいろんな電話があり、いちいち応対できないので」との回答。そこにある種の不誠実さを感じ
た。
年が明け、同社は東京地検特捜部による強制捜査とそれに続く経営幹部の逮捕に至った。取り調べの進展に伴い想定を遥かに越える所業が明らかになり、また報道される堀江容疑者のこれまでの言動を省みるにつけ、(その通りだとすれば)経営者が人間として持つべき正しい志や倫理観の欠如を悲嘆するものである。それは、耐震偽装問題におけるヒューザーや東横インの社長の対応においても同様である。
私は、昨年上梓した『広報の達人になる法』において「広報は経営そのもの」と広報人のあり方を88の鉄則に表したが、その一部をもとに今回の事件を振り返ってみよう。
● 王道を 凛々と歩くが達人よ
目指すはビジョンに志なり
経営者は、王道を“凛々と”歩かなければならない。今回の事件に関与した人物はいずれも側道をこそこそ隠れて歩いていたに等しい。拝金第一主義を掲げて自ら見失い、間違ったビジョンや志へ突き進んでい
た結果といえよう。この機会に自社は、果たしてどのような姿勢で歩を進めているのか?を自問自答してみるといい。カルロスゴーン氏は、拙著への序文で「組織の信頼性は、業績と透明性の二点によって決まる。事業の透明性は、義務を超越したコミットメントなのです。透明性の確保を追及する姿勢は、企業文化の一部でなくてはならない」と訓えている。
経営者にはまずもって高い倫理観が求められるのである。
● 直言も 時には辞さぬ誇りと勇気 言うべきときに断固言うべし
上司に仕える心得の一つに、「直言」がある。直言できる上下関係、直言を奨励する社風は、創造的な会社に特有な美徳であり、企業の成長発展の基盤であろう。組織の大小にかかわらず、どんな立場においても、それぞれに「直言」の機会がある。しかし、現実には、問題の善し悪しを問わず、直言しない・できない風土がある。
アリストテレスの訓えに沿い「言うべきことは、言うべき時に、言うべき人に断固言う」ことは側近の成すべき要諦だ。保身が脳裏を掠(かす)め、直言と保身の狭間
で悩むのが常。しかし首筋に刃(やいば)を感じても言わなければならない時がある。いつも直言する心がけを深奥に秘めて、時には断固実行する誇りと勇気をもたなければならない。
かくして経営者にはつねに直言を受け入れる気風と土壌を作る義務がある。
● 品格は 一人ひとりが築くもの
会社の品格私がつくる
どんなに立派な社長の訓話も、社員の一つのぞんざいな言動で台無しになる。そして、お客様は黙って去っていく。「企業の品格は、最前線の社員、組織の最先端で決まる」ことを忘れてはならない。
教育者であり哲学者でもあった森信三氏は『修身教授録』において「気品(品格)はその人から発する内面的な香りとも言え、人間の値打ちのすべてを言い表す。真の気品は一代の修養のみではその完成に達し得ないほどに根深いものである」と数代にわたる修養の必要性を強調する。
数学者の藤原正彦氏も「品格には高い道徳が必要。日本人は古来の善徳や品性をもっている」(『国家の品格』)と勇気付ける。 政治家もメディアもそして経営者も社員も、今こそ自省し、「自分の品格は自分で創る」との強い気概をもって明日(あした)の仕事に邁進しなければならない。
これからの日本に必要なことは、真の「教養人」を育てることであろう。教養とは、はば広い精神(知・情・意)の修養による精神的活力・心の豊かさだ。政治家もメディアもそして経営者も社員も正しい歴史観を持ち、日本人としての美徳を備えた教養人へと向かって王道を凛々と歩かなければならない。