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バリューインテグレーター(価値統合家)の
       『至誠の咆哮』
 今日のテーマ:「人を知る法」第45条
「身の程知らぬ親切」         2014年12月21日(日) 
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 世の中には見栄のためでのなければ、欲のためでもなく、唯々その時の
感傷で(自分の心を痛め、たまらなくなって)身に余る親切をする人がある。
これは非常に美しい行為だと誰でも思う。ところがこういう親切は丁度親の
物を盗み出して人に施すような人で、結局は自分も人に迷惑をかける人である。
多くは自分の血と汗で働いた金だけで生活している人でなく、何か、誰かの
力で生活している人だ。こういう人とは本当には手が握れない。
 親切とは、自分の気持ちの納得に過ぎないことが普通と思っていると間違い
が少ない。真の親切とは何かはとても難しい。通常、親切をしようと思うときの
自分の心情を胸に手を当てて、いや聴診器でないと聞こえない心奥の声を聴けば、
どういうであろうか? 相手の弱みに同情し、それに何らかの手心を加えようと
する行為は、その親切で、相手に少しでも良く思われて後で自分が何らかの形で
有利になるであろうことを期待している自分に気づくであろう。
 問題はそれが叶わなかった時、それが普通であるが、むしろ損した気分になり
何だあいつはあれだけしてやったのに、礼儀を知らん! とか、不親切だ!
とか妙なことになる。お返しというのがそれだ。お返しを期待していないが、しな
ければ礼儀を知らんとなるので、半分返しとかをやる。
おかしなことだ。