今日のテーマ:「人を知る法」第40条
     「慾は梯子」
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 人間の慾にはきりはない。1つの慾を満たせば次の慾望が芽を出す。しかも慾の芽だけは出る度に根が深くなり、幹も太く、葉の繁り方も濃くなる。
人間40、50欲深盛りとなる。外目からは慾の様に見えないものでも、その根本は慾である。女の子がやたらに着物欲しがるのも、スポーツ選手がオリンピックに出たいと目標を掲げるのも、自らの研究没頭してなりふりかまわぬ学者も追いかける目当てが違うと言うだけで同じことだ。であるから慾の深い人間の方がよく仕事をする訳だ。慾のないのと慾の目的の低いのは人間として余り感心できない。

 慾が努力を促す。
 慾が未踏の一歩を踏み出させる。
 慾が未知への飛び出させる。
幸田露伴は、その努力のあり方について『努力論』にこう述べている。
「努力して努力する。それは真のよいもので はない。努力を忘れて努力する。それが真 の好いものである。しかしその境に至るに は愛か捨(しゃ)かを体得せねばならぬ」
 
その欲求が強くなると、ショウペンハウエルは、
「土を掘るのがもぐらの欲求であるのと同様に、身を粉にして抵抗と戦うのが人間の欲求である。固定普遍の享楽の絶対自足感に伴う停滞は、人間には堪えられない。物質的障害であろうと精神的障害であろうと、障害を乗り越え、障害と闘って勝つことが、人間を幸福にするのだ」(『幸福について』)

とそれは人間の本能的欲求であると喝破するが、アリストテレスは、
「人間の幸福は自己の優れた能力を自由自在 に発揮するにある」として、
欲求を追及して、自らの能力の限界に挑戦して、自由自在に発揮すること、
そのものが幸福であると激励している。