今日のテーマ:「人を知る法」
第33条「善悪のけじめ」
2012年12月25日(火))
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自分の行いの善悪はその人によって計り方が違う。人殺しをやっても、自分は悪くないと思う人間もあり、一寸怠けた事でも神様に申し訳ないと心を痛める人もある。多くの人は悪い事をして、損をしたり、捕まっても刑に処せられたりすると、はじめて自分は悪い事をしたなあと後悔するが、世間が見捨てておけば、対して悪い事をしたとも思わない。人に責められて初めて悪い事をしたなあと後悔するような人間は人が責めなければ、又同じ様な悪い事を平気でやる人間だ。
人の本質は変わらないとも言う。シュペンハウエルは『幸福について』の中で、こう言っている。
「どんなことでも忘れられないことはないが、自己、すなわち自己の本質性格だけは
忘れられない。それはそのはずだ。人間のいっさいの行動は内面的な原理から流れ出るもので、この原理によって人間は同じ状況であれば常に同じことをする他には仕様がないのだから、性格というものは全く修正の効かないものである」
そこで「我々が交際している人間が、不快な態度ないし腹の立つような態度をとった場合、今後幾度か同じ態度を、しかも輪をかけてとられても我慢する気持ちになる位に大事な人間かどうかを、心に問うてみさえすればよい。“赦して水に流すのは自分の得た貴重な経験をむざむざと捨てるようなものだ”。それほど大事な人間なら、何を行ってもまずどうにもならないのだから、それについて言うべきことはあまりない。 小言を言うなり、言わぬなりして事を見ずに流す他はないが、それはもう一度やってくれと頼んだも同然だということを覚悟するがよい。
反対に、それほど大事な人間でなければ、即座に、かつ永久に、この親友と断交するか、召使なら解雇するかしなければならない」と訓えている。
私は、ある友人から(自分には)強い侮辱を受けた時、このことを学んで、即座に断交した。
その決断は正しかったと思う。