今日のテーマ:「人を知る法」第29条
「無理にほめる」
 2012年8月25日(土) 
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 あの人は根強い人で、根のいい人だ。数の仕事はできないが実に念入りな仕事をする人だとほめられる人がある。(人のほめ言葉の中には得て、皮肉を悪口がこもっているものだ。ほめ様がないので無理にほめると言うこともある。)
 
こういう人には、仕事ののろい人、頭の悪い人、機転の利かぬ鈍物が居る。一寸上手な人間が一日10枚作れるものを1枚しか作れないのでは、その不器用さが知れる。仕事は出来上がりも大切だが、数もこなさなければ真の実力ではない。
ラ・ロシュフコーは「あるときに自分が誉めていたことを、別の時になって、自分が少しもよいと思わないのに気がつくことくらい、われわれの自己満足をしぼませるものはあるまい」と言う。

これは時に感じることだ。なぜ、誉めるのであろうか? 自分にとって有利に働くと思わないことには誉めない人もいるし、真に相手のことを思いやって、絶対的に誉める人もいる。例えば親が子供を誉める時、真の友が真の友を誉める時。

そして、あらゆる立場で、あらゆる時に、どの人も、他の人にこう思われたいよく思われたいと思うように自分をみせかけようとして、顔や外見を粧っている。

 「誉める」のも自分をよく思われたい見せ掛けのためであることが少なくない。
誉めることは結局“おべっか”であることを、誉める都度、自分の心に訊いてみるがいい。

誰もが称賛を喜ぶもの、と知りつつ、自分を少しでもよく見せようとする日々が人生である。子は親に、親は子に、生徒は先生に、先生は生徒に、彼は彼女に、彼女は彼に、部下は上司に、上司は部下に・・・少しでもよく見せようとして、お化粧をするのである。

 おべっかとは、戦略的な、目的を持った賛辞と捉える人は世渡りの達人でもある。自分の顔も出会う人、出会う時、出会う所に合わせて準備しておこう。
これが真の思いやりでもある。