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今日のテーマ:『人を知る秘訣』
第22条 「悪徳の温床」
人殺し、詐欺は、確かに悪徳の標本だが、それを育てるものは何か、社会だ、世間だ、不運だと尤もらしく理屈をつけたがるが、その根本は何でもない。怠け者だからである。働くことが嫌だからである。修行するのが嫌だからである。
割の悪い仕事を損だと思うケチな根性だからである。
目先の損得の獲得にだけ動く人間と、将来の尊徳の習得に向けて働く人間とは、少し時間を経て、比べれば、誰の目にも、人間の質量ともに異なっていくのが判るようになろう。人生は公平なのである。大方の人の見る目はごまかせない。
一時的な栄華を誇ること自体、過去の栄光を語ることそのものが、今の没落や未成長を表している。過去はこうだったことに生きがいを感じるようになってはそれだけでは、もはや御仕舞いだ。その後に今はこうしている。これからこうする、
こうしたい、そして、将来はこうなりたい、こうありたい・・・という言葉が続いてこそ、人間のいや自分の尊厳を崩さず、誇りをもって人生を全うしようとしている姿である。
その将来目指すものが、社会に貢献し、人類に少しは役立ち、近くの人、1人にでも喜びを与えるようなもの、ことを創り出すのであれば、幸運であろう。
社会が悪く、世間が悪く、不運でも、病気でも何か一つ位人の為に働いて餓死でもできる人間なら、それこそ英雄である。たとえ誰が認めなくても。
誰も長生きしたいと願っている。長生きは一つの人生の成功者でもあろう。しかし、古代ローマの政治家であり哲人セネカが訓えるように、「髪が白いとか皺が寄っているといっても、その人が長く生きたと考える理由にはならない。長く生きたのではなく、長く有ったに過ぎない」(『人生の短さについて』)のである。
「気高い人間よ、
情けぶかくやさしくあれ!
うまずたゆまず、
益あるものただしきものをつくれ。
そしてかのほのかに感ぜられた
より高きもののひな型となれ!」(ゲーテ)