『人を知る秘訣』第13条
   「大味小味」

 人にも大味の人と小味の人がある。好き好きでどちらがいいとは言えないが、大味の人にはおおざっぱなよさと悪さがあり、小味の人にはきりきり舞いのよさと悪さがある。物に裏と表のある通り、一方だけを見てほれ込むとすぐに幻滅がくる。

 両面合わせ持つた人は金かダイヤモンドほど少ない。しかし居ないことはない。
人を見て、その人の味わいの大体を掴むことができれば先ず上乗だ。

 何事にも裏表があることについては、新渡戸稲造も『自警碌』において「およそいかなる物でも物として表裏なきものはあるまい」と述べ、いかに薄い平面でも実物である以上は必ず表裏があるが、「とかく従来の習慣に捉われ、表は善く、裏は悪きものと解し、ただちに是非、曲直、善悪の区別をこれに結び付け、物の見方人の見方を誤ることが多い」と注意している。

 また、「実際世間の習わしとしてはいかにも表門をりっぱにし裏門を粗末にする」として、見せたい所、見て欲しい所だけを飾りたてる心を喝破しているのは痛快極まりない。
 人であればその裏の部分、つまり内面の濃さ、豊かさを重んじることが大切。
「人は見た目が9割」を信ずる人が多いことを憂える。「人は中味が9割」いや
9割9分9厘9毛だ! キリストがアルマーニをまとい、吉田松陰がヴィトンバッグを持って啓蒙したであろうか?

 我々は、表に惑わされてはならない。世の中は情報だらけだが、その情報の
表に騙されるな。その裏に潜む嘘と本質を見分ける冷徹な眼力こそ、今こそ、求められる素養であろう。それには自己の尊厳を崩さない確かな生き方の基盤が不可欠だ。