∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 『至誠の咆哮』
今日のテーマ:『人を知る秘訣』第6条
「壊れた秤で人をはかる」
2010年11月22日(月)
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人を見る目の秤だけは誰でも壊れているものです。俺こそ、私こそ、見損ないは決してしないと高言する人がいるなら、それこそ世界一の大馬鹿者でありましょう。或いは、大嘘つきであり、自信過剰の最たる者といっても過言ではないでしょう。
如何に科学が進歩しても、“人を計る秤”だけは、持てないのです。ということは、“人を計る秤は壊れていていい”のです。それで計るより仕方がないのです。
自分の秤に間違いないと思い込んでいる自惚れ、これが最も狂った秤なのです。
百人寄って80人、或いは90人、同じ意見なら大凡の目標としていいでしょう。
しかし、それも絶対君主的存在がいたならば、その80-90人がどのような状況にあるかを差し引き、考慮しなければなりません。日本の江戸時代、終戦前の軍国主義日本帝国時代、ヒットラー時代・・・逆らえば、即刻投獄・拷問・死・・・に直結する抑圧された状況では全く意味が異なります。
宗教的教えもそのような精神の拘束を伴うものです。
同じように、それは大なり小なり会社内でも容易に起こり得ます。ワンマン社長に仕える物言わぬ羊がそうです。生殺与奪権の下では誰もそうなるのです。なぜなら生活がかかっているからです。
「直言も“時には”辞さぬ 誇りと勇気 言うべき時に断固言うべし」との心構えを持って言える人物に、高い値をつける秤で計れるような幹部にならなければ、その会社の将来は危い。