∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
バリューインテグレーター(価値統合家)の 『至誠の咆哮』
今日のテーマ:『人に好かれる法』第98条
「逃げるか止まるか」
2008年4月18日(土)NO.189
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
第98条 逃げるか止まるか
人生には思わぬ時、思わぬ所で降りかかってくる災難がある。心になんの用意もない。そんな場合、ある人は驚いて盲滅法に逃げる。またある人は、じっとそこに踏み止まり、その災難をできるだけ軽くしようと、真正面から受け止める。一方は苦労から逃げる人であり、一方は苦労を買って出る。
血まみれのけが人を見て怖いと言って逃げ出す人と、そいの手当を急ぐ人との違いである。われわれは力になる役に立つたのもしい人を好かないだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先日、東京の路上で、一旦停車に少し移動しかけた瞬間、後ろからきた宅配便のバイクが運転席のドアをかすめ、サイドミラーに左ハンドル前のフードに接触。右前方に倒れて行った。運転者は、倒れる前に飛び降り、両手をついた後右肩からごろりと一回転。最終的にはケガも軽い打撲と擦り
傷だけで済み、車の修理も保険で全てカバーでき、まったく大過なく終ったのです。
そこで、学んだことは:
1.人生には思わぬ時、思わぬ所でふりか かってくる災難がある。
2.それは注意していても、いなくても遭 遇するケースもある。
3.後続車がなく、運に救われた。
4.常に用心を怠らず、注意深く生きなけ ればならない。
そこで思い起こしたのは、
「われわれは決して人間社会の状態を忘れ ることなく、人間としての生存そのもの が何という悲しむべきみじめな運命であ るか、いかに無数の厄介に曝されている か絶えず肝に銘じておくべきである。
大小さまざまの災難はわれわれの生活の 根本的な地盤をなす要素だからである」
というショウペンハウエルの言葉です。
そして、時々に起こる災難は、将来もっと大きな災難に立ち向かうための訓練のためにあるとして、前向きに捉えて更なる精進をすべきであるというのです。
そこで、時々刻々の“人生に悲哀”を慨嘆してしかめ面したりするのではなく、用意周到な人となって人間に起因する災難でも、物事が起因するに際しては、何でもすべてこれを予防し防止するというように大いに注意力を磨き、これを鋭敏にして、災難の大小にかかわらずこれを避けるように心がけなければなりません。
私達は、全力で災難から逃れようとするも、起こってしまった災難に対しては、雄々しく立ち向かいたいものです。
人生は災難です。災難があるのが人生なのです。
「人間は、運命に乗ることはできても 逆らうことはできないということ
は、歴史全体を眺めても、真理で
あると断言できる。
人間は、運命と言う糸を織りなす
ことはできても、その糸を引きちぎ ることはできないのである。
ならば、絶望するしかないかとなる と、そうでもないのだ。
運命がなにを考えているかは誰にも わからないのだし、
どういう時に顔をだすかもわからな いのだから、運命が微笑むのは、
誰にだって期待できることだからで ある。
それゆえに、いかに逆境に陥ろうと も、希望は捨ててはならないのであ る」
(マキアヴェッリ『政略論』)