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バリューインテグレーター(価値統合家) の 『至誠の咆哮』
『人に好かれる法』第97条
「競争相手」
2009年4月12日(日)NO.187
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第97条 競争相手
人間は、自分の意のままになる人だけを好くものでもない。時にはあまりそばに寄られると嫌気をさすことさえあるものだ。
たえず自分の競争相手になり、さあどうだ、さあどうだと自分を刺激し奮い立たせてくれる人間というものは、好敵手として妙な親しみと好意とを感じさせられ、そういう人がいなくなったり、影をうすくしたりすると、むしろ、がっかりしてしまうものである。
仕事の面で趣味の中で、また娯楽の中でどうしても欲しいと友人である。
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動物は生まれ落ちた瞬間から、生死の競争に晒されます。天敵を避け食料を確保し続けて、いかに生き延びるかが種の保存に不可欠な行動です。全ての生き物が食べる相手を持っているのと同様に食べられる脅威も持っているのです。
巨大な象でさえ、ライオンに襲われ、人食いありの餌食になるのです。
特に弱い赤ちゃんの頃は、格好の餌食ですから、成人に達するのは半数も満たない動物も多いのです。
動物の中で唯一の例外が、人間です。人間はその高度な頭脳で武器を発明し、それを駆使することによって、天敵を排除し、地球上で最も強い動物なのです。
それでは人間同士ではどうでしょうか? まず幼稚園では、一部著名幼稚園には、既に入学に際しての試験があり、親のテストもある。
こうした頃から、好むと好まざるとに拘わらず、人間同士の競争社会に突入するのです。とはいっても、生きる死ぬではないので、それほど深刻になる必要はない
のです。
そこで、生きる死ぬに代わるのが、好き嫌いというわけです。好きにも、色んな程度や段階があります。どんな人を好きになるのでしょうか。
◆お金をくれる人
◆おいしい食べ物を食べさせてくれる人
◆判らない時、こちらの判る方法で勉強を
教えてくれる人
◆判らない時、出来ない時、教えては
くれないが、じっと待っていてくれる人
◆困った時に相談に乗ってくれる、
頼りになる人
◆人生の目標になるような尊敬できる
師になる人
◆自分のミスをカバーして、それとなく
諭してくれる人
◆自分が悪い方向に行くのを阻止、
厳しく 忠告いてくれる人
◆自分を慕ってくれる人
◆自分が注意したことを、良く守って
くれ、尊敬してくれる人
◆自分より強い人でも、人間的に
尊敬できる人
◆誰も気づかない自分の長所や欠点を
指摘、成長を見守ってくれる人
◆自分を愛してくれる人
◆自分が愛する人
◆自分の子供、子供の子供(孫)等
◆自分の親族で気が合う人
◆配偶者を愛してくれる人
◆自分の子供を愛してくれる人
◆自分と同様に子供にもしてくれる人
◆見返りはないが自分の憧れになる人
(スター、ファン等)
◆思うだけで自分の気持ちがプラスに
働く人
こうして何でも思いつくままに羅列して判ることは、結局自分及び自分に近い人達に対して、今及び将来にとって良いことをしてくれたり、与えてくれる人ということになります。
どんなにいい人でも、無関係の人を好きになるのは、憧れになる人、自分では達成できないことをやってくれる痛快な人などはファンになります。
競った相手がいなくなると淋しい想いがするとありますが、私にはそれは誤謬だと思えます。自分の胸に聞いてみても、そんな場合にはほっとするもの。自分が常に勝つ方を好みます。
もし、ライバルがいなくなってさびしいですね?などと訊かれたら「いや、居なくなって残念です」とは答えるものの、それは、本心からではないのではないでしょうか。
例えば、あるスポーツの試合で、競っていたライバルがけがで欠場した場合のことを考えてみましょう。そこで優勝のチャンスが巡って来たら喜ばないわけにはいきません。そのライバルが、少し上で、いつもやられているケースなら尚更です。
そう善人の如く、居なくて張り合いがないなどと言う人は、真の勝負をやっていない人でしょう。けがも実力の内です。チャンスに遭遇するか、しないかも実力です。
「いなくて淋しい」を本心から言える人は、よっぽどできた人か、もともと実力に開きがあり、居ても居なくても自分が勝てる人ではないかと思います。
勝ったり、負けたりの真のライバルの場合には、相手がいなくなって喜ばない人はいないものです。
もちろん、そのライバルの存在が自分を伸ばす原動力になることも多く、居ないことが長期的にいいというわけではないところに、人生の機微、面白さがあるのでしょう。
人間の幸せとは、このような人たちにどんなに多く会えるかどうかにもよるのではないでしょうか?中でも、自分の人間的成長を助けてくれる人を見出すことが大切に
思います。いい時に寄ってくれる人よりも、ピンチの時の杖になり、増長している時に厳格に忠告してくれる人が長い目で見ると結局最も大切でしょう。
但し、なかなか真の師に巡り合うことは難しいものです。
「若い間に、自分の心に理想の情熱を喚起 するような人物を持たない、理想像を持 たない、私淑する人物を持たないのと
持つのでは大きな違いです。
なるべく若い時期にこの理想精神の洗礼 を受け、心の情熱を燃やしたことは、
たとえ途中いかなる悲運に際会しても、
いかなる困難に出会っても、必ず偉大な 救いの力となる」
(安岡正篤)