今日のテーマ:『山見卓越者塾』構想
「その実現に向けて」
2009年1月1日(木) NO.186
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恭賀新年。
年頭に当たり、今年1年が皆様にとって稔り多き年となりますように心か
らの祈念をささげます。
100年に一度の大不況と唱えられる中、
「王道を凛々と歩け卓越者よ、
目指すはビジョンに志なり」
「凛々たる孤風 自らを誇らず」
を肝に銘じて、その難関を乗り切る覚悟を抱きたく存じます。
「時々刻々にわれわれを悩ます小さな 災難は、大きな災難に耐える力が幸 運のあまりにすっかり衰えてしまう ことのないように、われわれを絶え ず訓練するためにあるのだ」
(ショウペンハウエル『幸福論』)
そこで、数年前から温めてきた『山見卓越者塾』の構想について披歴致します。
この構想に友人の石原智氏(SMBCコンサルティング)、浦上裕生氏(菊屋浦上商事社長)、本田哲也氏(ブルーカレント社長)、徳田匡史氏(ミクシィ広報IR課長)他の皆様が賛同されています。浦上さんがミクシィ上に「世代間交流勉強会」を立ち上げ実現へ準備中。感謝します。
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『山見卓越者塾』構想
2009年1月1日
「広報の達人とは、企業の思想家たるべき人物に他ならない」 これは、拙著「広報の達人になる法」の真髄である。ドイツの哲学者ショウペンハウエルは「思想家とは、人類の蒙を啓き、その前進を促す者」という。つまり、「所属する企業・組織団体の進むべき進路を掲げ前途を切り拓き、
その前進を率先できる人物」なのだ。
さらに、「達人」から「卓越者」へと高めていかなければならない。
「卓越者」とは:
「人間教育の根本は、各人を卓越者へと練 成することにある。
卓越者とは、自分自 身に正面から向き 合い、人間は所詮欠如体でしかないこと を深く自覚して、より高次の人格を目指 して日々精進する人間のことである。
それはまさに、組織人格として、同時に 個人人格として、その両人格のより高次 の統合を目指して日々精進する『あな た』だ!」
(花村邦昭(株)日本総合研究所特別顧問
・大妻学院理事長)
21世紀はコミュニケーションの時代だ。ネットの発展により、情報が瞬時に世界を回り、必要な情報も一挙に入手でき、ブログ・SNSによる情報拡散力は、コミュニケーションを容易にする。情報が世界を変えるのだ。親と子、夫婦親戚、人と人、地域と地域、国と国、人間と環境、地球と
宇宙・・・。すべて、情報とその交通つまりコミュニケーションがその本質である。
私は、「人間の生き方と組織(企業)の生き方を一致させよ」と言い、専門である「広報PR」の本質とは「適切なる情報交通により、会社を“善に向って”司ること」であると定義した。
つまり、コミュニケーションとは:「情報を善に向かって司る」ことである。
いかなる人間も組織体も情報で生きている。脳(トップ)からの情報が司っている。その情報を完全に掌中に収め、倫理・道徳で司ることができる人物だけが、先頭に立って組織をリードできる。
つねに「To Be Good」(いかに善くあるべきか)を考え、「To Do Good」(いかに善く行うべきか)を決めて、自分の態度・姿勢を律し、言葉を発し、行動する。それを目指す人物こそ「コミュニケーション卓越者」になれるのである。
しかしながら、卓越者たる者は、卓越者である前に人間である。人間は社会的動物。一人では生きることは出来ない。
コミュニケーション卓越者は、人間の卓越者になろうとする志を抱く者である。極めることは至難なるも、極めたいと願い、極めようと努力することは、情熱あれば、誰にでもできるのだ。
そのためには、
「人間の研磨」が要る。
「徳心の高揚」が要る。
そのためには、
「古典の素読」が要る。
「心魂の鍛錬」を要する。
人は生まれながらに個性である。祖先のお陰で、幸いにして、この世に生を受け、親に育まれ、学校では先生の教育薫陶を受け、社会に出てからは、上司や同僚或いは周りの関係ある人たちの叱咤激励を受けながら人間としてのあり方を学んでいく。
「コミュニケーション」は、ひとえに人間が行うものである。
「コミュニケーション」に長ずる最短の道とは、人間を研磨して「真の教養」を身につけ、「卓越者」を目指すことである。
学生時代から人間の昂揚を図ろうと努力する人物は、社会人となり更なる人間の練成を怠らない。そのような人物が社会の至る処で活躍することは、夫々の立場で社会に貢献することになろう。
吉田松陰は、「松下村塾」で
「松下、陋村なりといえども、
誓って神国の幹となさん」
との志で優れた人物を数多く輩出した。
当塾も「山見塾、小塾なりといえども、
誓って神国の幹とならん」
との高邁なる志、熱烈たる闘魂、昂然たる気概をもって望むものである。
塾長 山見博康
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山見卓越塾構想概要
【目的】主に学生を対象とし、古人・先達 から学び、相互研鑚により、真の 教養を備えた「卓越者」を養成す る。
1.人間を高め、深める。
2.コミュニケーション力を深め高める。
3.相互交流で切磋琢磨し、相互高揚を
図る。
4.独自独特独創人間を作る
・・・渦巻きを起こす人物、人の心 に点火する人物
【対象】
・コミュニケーション、広報、広告、メ ディアなどに興味ある学生
・人生を学びたい熱意ある学生
(中学生・高校生・大学生)
・賛同する社会人
【定員】教室の収容人員の範囲
【方法】
・哲学・人間学・教養に関する講義
・コミュニケーションの講義+議論
・古典の素読+議論
【講師】塾幹部、師範、外部識者 他
【時期】毎月1回(第 金曜日)
19:00-21:30(飲食自由)
1時間:哲学、人間学、コミュニケ ーションの講義など
30分:古典の素読
・塾長が「古典の小節」配布。
・少人数のグループに分れ、同時 或いは順次に、大声で素読。
30―40分:各自私見を発表+議論
20分:質疑応答あるいは相互交流
【場所】都内(未定)
【塾則】
1.Anybody 国籍、年齢、性別、役職を 一切問わず、皆平等とする
2.Anytime 入退会自由(意志尊重)
いつ来ても帰っても良し。
3.志なき者は去る
【会費】学生1回 千円―2千円程度
社会人1回5千円―1万円程度
【運営】▼基本的にボランティアとする
▼余剰金はすべて
『卓越者基金』として積立てる。
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人間としての面目―真の教養とは
すべての者が限りなく求めて止まないもの、それは生きる悦びである。何かの生きがいを、悦びを求めて人生をさまよう、これがありのままの人の姿である。金も力も地位も名誉もすべて、生きがいを、悦びを得るための備えにすぎない。
どのような思想も、信仰も、はたまた芸術も、科学も、政治もこの線を外れてあるということはない。またあってはならないのだ。
だが理論と実際は常に一致しがたく、こと志にそわぬ矛盾の中でわれわれは苦しむ。知識も才能も富も地位もみな、われわれの生活を悦びにつなぐ導火線でなくてはならない。
しかるにわれわれは地位や才能をもって不幸を招き、知識や財産をもって苦悩に引きかえる。何かそこに錯誤がある。その錯誤矛盾を解決するもの、それは真の教養である。
教養とは単なる物知りでもなければ程度の高い教育と言うことでもない。
真の教養とは、いかなる条件の中にあっても、自己の尊厳をくずさず相手の立場を理解して、これに善処し得る能力である。この能力あってはじめて、一切のものを生かし、相互に生活を豊かにし、生きる悦びを享受し得るのである。
その生き方こそ、人間としての面目ではあるまいか。
池田敏子(池田書店創業者) (『人に好かれる法』近藤信緒著、
山見博康編)